無常ならぬものは無い
この一年を振り返ると、コロナに明けコロナに暮れると言った感じでしょうか。
誠に右往左往の一年であったのでは無いでしょうか。
昨今、医療崩壊がしきりに叫ばれ、医療の分野では破綻寸前といった様子であります。
お釈迦様は我々には逃れ得ない苦があると諭されております。
生老病死、四苦八苦でお馴染みの四苦であります。
最後にはどなたもが死という苦を受け入れねばならないのです。その死に至る手前に、老と病が介在しております。
どなたか老を止めることができましょうや。出来ませんね。
病はどうでしょう、治るという概念、治すという概念はいつ頃から生まれたのでしょうね。
医術が生まれる前、人は祈ることにより病苦から逃れることを望まれたのだと思います。
今は医療が発達し、治ることが普通のような社会になっていますが、医療のない時代は治すことより苦痛から解き放たれることをのみ求めたのでは無いでしょうか。
苦痛から解き放つ中継ぎが、シャーマンと呼ばれる祈祷師たちであり、その者たちは自然に抗うことはなかったのでありましょう。
死は必ず訪れる物であることを知覚し、それを踏まえて様々なことに向き合っていたはずです。
人は与えられた命の時間が終わると死を迎えます。
今、新型コロナウィルス感染症の災禍により、苦痛を受ける人がたくさんあります。しかし、その手当てをされる医療現場の方々に、過度な期待を持つべきではない、必ずしも命の価値のみに固執することは、大自然の法に抗うことになるのではないかと思います。
この感染症、本当にここまでの手当が必要な物なのか、社会全体が考えねばならないのではないでしょうか。