誰のためですか?
コロナ禍から色んなことが炙り出されます。
受け入れ医療機関の方や御家族への誹謗中傷。
地域差別。そしてこの度は軽症者受け入れホテルについての、近隣住民による反対。
それに伴う、県の取り組みに対する批判。
全く恥ずかしい。
私は滅多に他の誹謗はしないよう心がけています。ですが、この度のホテルの件については憤りを超える。
「あなたの家に泊まらせるとは言ってません。あなたの家の近くのホテルに、軽症者が出た場合、泊まる」という話です。
それに対して近隣住民が反対して、成立しなかった。
パチンコ店が休業要請の中、開店してそこに群がるパチンコ症の人たちもそうです。
「あなたやあなたの家族が罹患したら、お世話にならんのですか?」
「医療崩壊した状況が起きた時、それから探すのではまったく遅い、そのくらいわかるじゃろ!」
広島では近年、自然災害が発生して、多くの方の命が失われました。
そのご家族の苦しみは測り知ることが出来ません。
何故自分しか対象に出来ないのか。悲しみを一つでも少なくしよう、その為には自分は何をすべきか、何ができるか、そんなことは考えられんのでしょうか?
こんなことは詭弁ですがあえて。
もしかすると大自然は我々に「元へかえれ」を
気づかせるため、強硬な手段を講じておられるのでは無いでしょうか。遮二無二協力せざるを得ない場面を作らんとして。
だとすると、こんなことをしていると、もっと厳しい状況が来る。そんな風にも思います。
あまい、私たちは大自然の中で生活させていただいていることを知覚し、愛を植える生き方をすべきです。
気付きましょうよ。