お坊さんが語る終活

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叔父の命

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靖國に安んじておられる叔父、小川秀市命の76年の今年、以前に靖國神社様から下付頂いた「祭神之記」を改めて拝見致しました。

ふと、叔父の所属部隊の記載が無いこと、死没場所が明確で無いことに目がいきました。

最近は有難いことにインターネットで調べると、「軍歴証明書」なるものが都道府県庁で発行してもらえることがわかりました。

少しでも叔父の顕彰をしたく、早速、北海道保健福祉局地域福祉課へ問い合わせをしました。

叔父と甥。三親等。これが無理なく資料請求できる瀬戸際でした。
必要書類として、私の戸籍謄本、祖父の改製原戸籍などを千歳市から取り寄せ、それを北海道保健福祉局へ送りという手続きを取り、ようやく叔父の軍歴証明書が手に入りました。

叔父は昭和16年3月 工兵第7連隊第3中隊に入営
その後、17年6月、アリュウシャン群島、旧アッツ島上陸作戦に参加、上陸。
同年9月、鳴神島、旧キスカ島へ。
同年11月、大陸令第708号により北海支隊(独歩301大隊)長の隷下を離れ、北海守備隊司令官の隷下となる。
18年4月まで鳴神島鳴神港において飛行場設定作業に従事。
同年7月、北千島幌莚島盤城上陸、同島警備。
19年4月、温禰古丹島派遣工兵小隊要員として上陸。
5月、第91師団工兵隊に転属、第一中隊編入
そしてその後詳細は記載なく、昭和20年8月12日
乗船沈没による戦死。北千島幌莚島樺里崎沖。

大正9年生まれですから満25歳でしょうか。

祖国と家族を守るため故郷を離れ、父や母、弟や妹の幸せだけを願って外地へ赴いた叔父の足跡。
もっと早くにすべきでありましたが、智恵が伴うのに時間がかかりました。

でも少しは喜んで下さるでしょうか。

甥っ子の中にあなたの足跡を顕彰したいと思う者がいたことを。

新しい「祭神の記」、靖國神社祭儀課からの発送日は8月12日でした。
なんと心のこもった手厚い手続きでしょうか。
そんな神職方のお守りくださる御社に、我が叔父は御祭神としてお祀りされております。

大阪から帰って、一番の贈り物をいただきました。

長文お目通し、お付き合い賜りありがとうございました。