お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

カブトムシ

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昨日、外で会合があり少し遅く帰宅しました。

すると寺の屋内部分の駐車場に、カブトムシの雌がブンブン飛んでおりました。

 

朝、見てみると仰向けになって足をバタつかせておりましたので、一時保護して、スイカの皮を与えました。

あまり大した喜んではいないようなリアクションでした。

 

その後土の上に放してやりましたが、夕方見ると動かなくなっておりました。

 

沢山の命がこの世には存在します。

その中で万物の霊長と言われるのが人間。

でも人間も虫も、必ず亡くなる時が来ます。

この部分では、人間も虫も同じであろうと思います。

では何故、人間は万物の霊長と言われるのか。

考えてみてはいかがでしょう。

 

 

平時と有事は違う

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「正論」8月号の特集記事に、「なぜアビガンは承認されないのか」が掲載されています。

詳細は是非手に取ってお読みいただきたいですが、やはりこの国の足を引っ張る元凶は、表としては省庁傘下の官僚下部組織であり、裏としては日本国憲法であろうと、私は理解しました。

時は有事。平時とは異なる動きが必要であります。

戦時下、激戦地において負傷したとしましょう。

その時、包帯が無かったらどうでしょう?

「消毒された包帯がないから、傷口は押さえられない。」でしょうか?
平時と有事の違いがわかっていないということでしょうね。

厚労省の方々はルールを守ることを死守したのでしょう。しかし、臨機応変は時として有効であります。
でもそれをさせないようにしているのが、日本国憲法であり、またそれを後生大事にしている国民自身ではないでしょうか。

そんなことを思わせてくれました。

スッとするのかな

毎年被災地生まれる。

子供の誕生は喜べますが、被災地の誕生は誰も喜びません。 でも今年もこの梅雨の追い込みで新たに熱海という被災地が誕生してしまいました。

 

広島もものすごく雨が降りましたが、おかげさまで大事なくすごさせていただきました。

 

夜になって総理の記者会見を見ました。

途中で嫌になってチャンネルを変えましたが、多くの記者が、どこか責任の所在探しに翻弄している気がしました。

誰のせいか。であります。

なんか違うと思いますがね。

誰かのせいにして、で、補償しろが言いたいのでしょうか?

一体いつから日本人は乞食ばかりになってしまったんでしょうか?

 

誰かのせいにしてコロナが収まる、災害がなくなる?違いますよね。

単に悪者を作り出して、自らのみの正当性を意思表示する、あさましきかな。

 

政府の舵取りが満点とは申しません。しかし突き上げるだけのコメントは、甚だ時間の浪費と理解します。

対岸の火事では無いことを、みんな認識すべき。

役割

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少しグロテスクな写真で申し訳なく思います。先ずはお許しください。

朝、寺の玄関を開けに出ると小さなアリンコがいっぱい集まっておりました。

見ると、ミミズの死骸に群がっているようです。

 

動物性タンパク質の摂取ですね。

こんなことは自然界では、休む暇なく続けられているのでしょう。

たまに、山中の道を走ると、小動物が交通事故で道の傍に倒れているのを見かけます。

しばらくするとカラスがやってきて、それを啄みます。これも自然の営みの1シーンです。

 

大自然に生かされるものには、それぞれ役割があるのだろうと感じます。

 

玄関のミミズ、今日の夕方にはもうその場所には姿、形は無くなっているでしょう。

その手助けはアリンコです。

一寸の虫にも五分の魂と申します。

それぞれ力は小さくとも、その役割を使命を意識しつつ、与えられた命の時間を費やしたいものですね。

 

「学び」と「気づき」

先日、葬儀社の社長さんのご講演を拝聴する機会に恵まれました。

コロナ禍における葬儀のありようなど、聴かせていただきました。

 

平常と違う葬儀の執行、それに伴う社員の精神的負担。またご遺族の戸惑いなど、まさに現場でなければわからないお話をいただきました。

ご高齢の方が多い会場の聴衆は、どのような耳で聴いておられたのでしょうか。

 

私たちは常に「学び」の中で生活していると思います。そして学んだことから、それを自分自身に置き換えるという「気づき」をもらうのでしょう。

気づいたこと。それはきっと目には見えませんが、物凄く大きな財産でありましょう。

しかしこの財産を大事に使う人、すぐに置き忘れる人、誠にさまざまなことです。

 

今、8月6日の広島の朝を静かに迎えられますように、という活動をしております。地元以外の方が聞くと「なんだそれ?」となるでしょうが、騒がしい朝になっているんです。

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中核派という、昔ヘルメットにゲバ棒で世間を騒がせた残党が、平和公園一帯を騒がしくしております。

その活動の中で一つ。

人は師を誤ると人生が狂ってしまう。いかに正しき師を選ぶことが大切であるか。

ということです。

 

学びの基本は環境です。

人としていかにあるべきか、この学びを間違えると、気づきまで狂ってきます。

 

良き環境に身を置けるよう心掛け、やはり神仏に乞い願うしかないと私は思います。

私たちを育ててくれたお寺へ

今日は和歌山県橋本市高野口町にある、高野口念法寺の信徒大会に講師として出向致しました。

 

高野山の麓の小さな町、その昔は「ガチャマン」ガチャンと言えば万のお金が入る、と言われるほど織物業で栄えた町です。

このお寺の歴史は昭和29年、開祖様が初めて九度山町に親教されたのが始まりですから、古いものがあります。

そしてこのお寺は、私が初めて地方に赴任した寺であり、また私たち家族が最初に暮らしたお寺であります。

15年の時が流れました。

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懐かしい顔も沢山みられ、小さい子供が立派な青年になり、そしてまた、極楽へと帰られた方も少なくありませんでした。

 

皆さん、本当に笑顔で出迎えて下さいました。

田舎ながらの素朴さというか、ホワッとした雰囲気が寺内に満ち溢れておりました。

90分お話をさせていただきました。

「今日一日」というお話です。

どうか、この今日一日の持つ意味を深く理解して頂き、後悔少ない人生を送って貰いたいと思います。

お話の終わりに、いま広島で活動している、御霊の尊厳を守る動きのことも伝えさせてもらい、協力のお願いもさせていただきました。

 

今日会った方とは、二度と会えないかもしれないことを言い聞かせ、第二の故郷を後にしました。

家族のあり方にこそ

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コロナ禍で全ての業種が大なり小なり影響を受けていることは事実。
その中で二つの記事。

社会の流れに抗うことになるのかも知れないが、私は県が子供食堂の取り組みをする時から、異を唱えている一人。

実際に本当に今食べられない子供を救うこと、必ずせねばなりません。
でもその裏側にある環境改善、是正の施策は行われているのか?

今日はまた「若者に食料を無料配布」との見出し。

苦しい人を救済するという善。

苦しい人が助けられることに対し感謝。

しかしこれが長期にわたるとどうなるか、

いつまで救済したら。

働きたいけど働けないのだから仕方ない、救済してもらう。

お互いの焦点がズレまくる。これにより社会は崩壊するように思います。

行政は対処法でお茶を濁すのでなく、根本的課題にもっと目を向けて、具体的施策を図るべきだと私は思います。

戦時中、いかに暮らしていたのでしょう。