自然災害をどう受け止めるか。
今夏、振り返ると自然災害の連続であった、と言えるかと思います。
6月18日、大阪北部地震。
7月6日、西日本豪雨。
9月4日、台風21号。
9月6日、北海道胆振東部地震。
たくさんの人が命の営みを止められました。
何かあると、どこかに責任、原因を見つけることに慣れきっている日本人。自然災害の発生の責任、原因は?
人が亡くなることにより、悲しみが発生します。私たちがもっとも受けたくないもの、それが悲しみではないかと思います。
そのもっとも受けたくない悲しみを避けるため、人は話し合い、研究し、知恵を出し合って対策を講じます。しかしこの自然災害の前に、人知は時として何の効果も無い状況となるのです。
亡くなられた方を悼み、追善のため供養を手向ける。人として然るべき行為であります。
ではその次にすべきことは何でしょう?
復興のため、技術を投じ、被災された方々の不自由な生活を改善すること、もちろんして行かねばなりません。しかし、その前にしなくてはならないことがあると思うのです。
「祈り」です。
犠牲になられた方を弔う際、ほとんどの方が宗教的感性のもと、死者を弔われます。この宗教的感性が存在すること、即ち、神というか仏というか目に見えざる存在の認識が、そこには歴然として存在しているのです。
なれば、全ての人が自らが信ずる存在で構わない、目に見えざる存在に天災地変無からしめる祈りを途切れなく捧げることが大切かと思います。
台風で倒木した楡の木の根株から、彼岸花の芽が伸びていました。
毎年この時期、欠かさず芽を出し、真紅の花を天に向かってひろげます。
これも自然の営みなんです。
大自然に対して、私たちは如何に向き合うことが正しいのか、一人一人が考えないといけないことを知らされているのかも、との考え方は無責任でしょうか。