刹那の繋がり
仏教で時間を表す表現に「刹那」があります。
最も短い時間の単位でありますが、この「刹那」の繋がりが我々の人生なのであります。
オギャーと生まれてこのかた、50年、60年、70年と時を経て生活をして来ているわけですが、これら全てがこの刹那の繋がり、連続によって成立しているのです。
さあ、その中で皆さんはご自身を振り返った時、ことの大小は別として「後悔」されたことありませんか、ありますよね。
「あの時こうしておいたら」的なことです。
でも時間は巻き戻しが効きません。対処としてその時点で出来る最善の処置をするほかありません。
何故後悔したのでしょうか?
それは目の前に現れた「結果」が自分や自分に関連する第三者にとって不利益な状況となったからであります。
ですが、皆さんは不利益な状況求めていたわけではありません。自分や第三者にとって利益がもたらされるであろう事を求めて、アクションを起こしたはずです。でもその結果が、そうで無かったということなんですね。
ここにおいて、判断が違ってた瞬間があったことになります。
それまでの経験、知識、情報などを加味して判断したはずです。でもそれが思う方向にならなかったということであります。
結果として間違いであったこと、よくあることです。ですからあまりそこに捉われなくとも良いと思います。それよりも間違いであった事を知ったその刹那に新たな学びを得、それを次に活かす事の方が大切だと思います。
判断も改良も「刹那」になされるのです。
人生は刹那の繋がり、連続です。
一刹那、一刹那を大切に生きてほしいと思います。