96歳という「苔」
一昨日、大切な信徒さんのお一人が往生の疎外を遂げられました。行年96歳でありました。
昨夜は雨足の強い夜にもかかわらず、本当にたくさんのお仲間がお別れに来ておられました。
45歳で最愛のご主人に他界され、女手ひとつで一男三女を立派に育てられた母の強さには、やはり強い信仰がありました。
ご自身がいただいた仏恩に対し、生涯をかけて報恩の道を通られた人生は、信徒さんを牽引する役目の私自身が教化されるお姿でありました。
今日の葬儀、告別式は昨夜と打って変わって晴天のもと、これまた沢山のお仲間によってお見送りされたのでした。
次から次へと信徒さんのお仲間が御焼香される中、ふと
「住職としての私に万一のことがあれば、おそらく立場から沢山の御弔問があるかもしれない。でも、立場がなく、ひとりの信仰者としての私の場合、果たしてこれほどの方が来てくださるのだろうか?」そんなことを思いました。
普段から今日一日、今日一日が大切とお伝えすることを専らとしていますが、本当に最期の時にこそ、その人の真価が現れることを、学ばせていただきました。
斎場までお伴し、収骨に向かう時、庭の一角に山奥の立地が成した情景がありました。
まさに、一朝一夕で出来ないもの。
人生に苔を生やし、まわりのひとに、その深みからなす味わいを感じさせられる、この度のおばあちゃんのようにならないといけないなぁ、と学ばせていただきました。
今日まで、その姿をもってさとして下さったことに、深い敬意と感謝を捧げたいと思います。
おばあちゃん、ありがとう。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌