お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

三連休

大阪での勤務を終え、明日からの三連休は明日は早朝に平和公園の清掃奉仕。来週に迫った慰霊法要の会場を信徒の皆さんとお掃除。

午後からは終活講座第1講をお寺で開催。

 

明後日は毎月の月例祭。

 

明々後日は終活講座を午前が第5講、午後が第4講、いずれも60名を超える受講生の皆さんが、私の職場に来てくださいます。

 

一人でもたくさんの方に、安心して暮らせる毎日のための考え方や、行動の仕方のアドバイスができればと思います。

 

暑い毎日です。読者の皆さんもご自愛ください。

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

献水の取水

23日に執行される、第31回 広島原爆殉難者慰霊法要にお供えするお水の取水に、安芸太田町の龍頭峡へ、早朝5時から車を走らせて来ました。

 

慰霊法要では、一昨年までは50ケ泉、昨年からは30ケ泉の全国から寄せられた、名水を献じさせていただきますが、昭和20年8月6日、原爆投下後、阿鼻叫喚の中、多くの人は水を求めて太田川に入り、川は人で埋め尽くされたと言います。

広島からの名水は、その太田川の源水を御供えさせていただいております。

 

早朝のため取水の人の姿もありませんでしたが、以前にも車数台が取水のために待機している場面に出くわすなど、美味しい水として多くの方が取りに行かれるお水です。

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私達の生活は、物質的には何一つ不自由の無い環境にあります。

先頃の九州地方での大雨による災害。罹災の方々には心からのお見舞いを申し上げさせていただきますが、一旦そういった環境になりますと私達の毎日は一変してしまいます。

 

戦時下、特に終戦間ぎわの日本は、ただでさえ物資不足の状況にあり、国民みんなが貧しさを友として助け合いの生活をしておられました。

そんな中、一発の新型爆弾により沢山の人達が水さえもままならない環境になったのです。

それを思うとき、実際に飲めるわけではありませんが、全国の名水をあじわっていただきたい、その思いでお水をとらせていただきました。

毎年のことではありますが、慰霊の行事で何が大切か。それはその人たちの思いを測り、その人たちに少しでも喜んでもらえる自分とは何かを求めることではないかと思います。

 

本当の信仰とは祈りを捧げると共に、自らを治めてゆくことであります。

あと10日ほどで慰霊法要の日が参ります。改めて心づくりをしてゆこうと思います。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

長崎は今日も・・・

今日は長崎での慰霊の一日でありました。

午前10時、長崎平和公園の皆さんよくご存知の平和祈念像前で、献花、勤行。

その後、原爆落下中心地公園の特設テントにて慰霊法要を厳修させていただきました。

 

長崎での大雨警報が発令されており、心配するも、祈念像前では降雨無く、慰霊法要も全員がテント内に収まるや降雨、やがて豪雨に。

法要が終わると雨が小降りとなり、午後の講話終了後には雨が上がり、各地からの参拝者の帰路は曇り空の下でありました。

 

昨年、一昨年も長崎での慰霊法要では、天候による不可思議を見せていただきました。

今年も仏天の御加護のもと勤めさせていただいたのであります。

 

23日は、広島での慰霊法要が行われます。

二度と悲しい出来事を起こさない努力を、一人一人が「仲良く」を実践して行くことで、築かなくてはならないと思います。

 

多くの犠牲者の方が望まれている事は何か。

8月15日に向けて、想いを深めていきたいと思います。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

長崎にて

昨日より明日行われる、長崎原爆殉難者慰霊法要のため、長崎にて来ております。

 

九州地方の大雨により、多くの犠牲者が出、罹災の地域に於いては不安な日々をお過ごしと思います。心からお見舞い申し上げます。

大自然の前に人間は何と無力な存在か、災害の時にいつも思い知らされます。

 

広島でも2年前、豪雨による災害があり、大きな被害がありました。

 

唯願わくば、風雨順時にして、人々の生活安穏であることを祈るしかないと思います。

 

さて、72年前の8月9日、11:02 広島への原爆投下後3日目に長崎にも原子爆弾が投下されました。阿鼻叫喚の様相であったと思います。

教団では、31年前から広島で、そして13年前から長崎でも現地での慰霊法要を勤めさせていただいております。

 

国連では核兵器禁止条約が採択されました。しかし、今の国連は言葉が過ぎるかもしれませんが、シンボライズされた組織でしか無く、その実効性は乏しいものがあります。

世界の大国が先ずは批准しなければ、有名無実であります。

 

これからの人々のため、何ができるかを一人一人が自分の出来ることを中心に、考えなくてはならないと思います。

明日、長崎の御霊に対して、私個人は私個人として出来ることを約束し、それを御供えしたく思います。

路面電車の往来する長崎で。

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ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

成年後見55%利用せず。

昨日からの豪雨で、九州地方では大変な状況になっております。一刻も早く雨が終息して、罹災の方々の生活が安心のできる形になりますことを心から祈念いたします。

 

さて、昨日の朝刊からですが、みずほ情報総研の調査により、成年後見制度を知っていても利用しないと、回答した方が55%にも登っている現状が明らかとなりました。

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調査の対象が認知症の家族の金銭管理を手伝った人という、少々どんな背景の方なのかよくわからわからないのではありますが、そもそも成年後見制度は、ことが起きてからのケースであり、確かに本人が認知症など、自分の確かな意思を表明することができないのですから、利害関係を含め、とてもややこしい環境下で手続きしなくてはなりません。

しかし、この制度を利用することで、本人の医療に関わることや、もちろん財産に関わることがスムーズになることは明らかです。

 

ではそのメリットを生かしつつ、デメリットを最小限にできないか?

それが以前にもお伝えした、任意後見制度です。

この制度ならば、本人がしっかりしている間に、本人の意思により形が作られ、万一の時にも係争にもなる頻度を抑えることができると思います。

 

本当に安心して日々を送るためのツールは、みんなが知っているべきと思います。

特にご子息のおいででない方には、1日も早く方向性を定めるべきが、自分自身を守り、また近親者を悩ませるリスクを回避する事だと思います。

 

任意後見制度については公証人役場のホームページを一度ご覧になってみて下さい。

安心の毎日が過ごせる方が、一人でも多くなりますように。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。

ツバメ

10日ほど前にブログで御紹介しましたツバメの赤ちゃんが、あの後孵化しチーチー鳴くようにまでなりました。

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お父さんか、お母さんかわかりませんが、せっせと食べ物を運んで来ては、子ツバメの口にエサを入れてあげています。

親鳥が来ると一斉に首をもたげ、口を開けてエサを待ちます。

 

命のいとなみ。それは全ての生物に備わっている法則なのでしょうが、本当に凄いなと思います。

鳥には鳥の命のいとなみがあり、人には人の命のいとなみがあります。

そこにあるのはやはり「愛」なのでしょう。

 

言語は人にのみ許されたコミュニケーションツールですが、自然界の生物には言語がなくてもコミュニケーションができているのです。

 

人は他の生物より高度なコミュニケーションツールを持っているのに、時に悪い使い方をしてしまいます。

お互いが栄えてゆく、お互いが笑顔でいられる使い方をしてさえいれば、みんなが幸せになれると思います。

 

「愛」に根ざしたコミュニケーションをとり、ツールが無くとも、信頼しあえる家庭や世の中を作る努力をして行きましょう。

 

ツバメはきっとそれを示してくれているんです。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

ランタナ

お寺の前にわずかな花壇があります。

信徒さんがお世話くださっていますが、その中に一風変わった花があります。ランタナという花だそうです。

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とても可愛らしい花で、小さな花がいくつも寄り添って形を成しております。

 

紫陽花などもそうかもしれませんが、小さな花がいくつも寄り添って一つの形を成している植物は他にもあるのかもしれません。

 

一般的に花というと、一輪一輪花の形を成しているものをイメージしますが、ランタナのような花は健気さをも感じます。

小さな花がが色を変え、寄り添って一つの形を作る。さながら花の家族といったところでしょうか。

 

大自然の中にあるものは、誰が作ったのでしょうか?花も木も、魚や鳥や肉眼では見えない微生物。無数の生き物が存在していますが、その由来を知る人はいません。

ですが、この大自然の中に存在するものは、存在する意義無くしては存在しないのだと思います。それぞれ役割を担いつつ、この世に置いていただいている、ということです。

 

ならば自分の課せられた役目は何なのか、それはいかにして果すべきなのか、それを知らなければ、存在の意味をなさない事になります。

 

仏教では縁覚という階位があります。

様々な縁によって悟りを得る人を言います。

中々そんな階位にはいたりませんが、せめて春夏秋冬の四季の移ろいの中に、諸行無常や栄枯盛衰の事象を観じて行ける人に成長して行きたいものであります。

 

生老病死

絶対の理です。そこをきちんと認識し、今日一日をいかに生きるかを見定めていただきたいと思うのであります。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌