諦
久しぶりのブログ更新となりました。
読者の皆さまには大変失礼を致しまして、お詫び申し上げます。
諦 あきらめると一般に読みます。
退行的表現に感じられるやも知れませんね。
しかしながらこの文字、仏教にとってはとてもとても大切な1文字であります。
真理、悟りとも訳されます。
何によって悩み、何によって悟るのか。
この真理を「四諦」として説いています。
梵語(インドの古い言語)ではsatya-サティヤと言います。
皆さん「ひろさちや」というお名前、聞いたことないですか?
このお名前ペンネームで、梵語のphilo-フィロ、愛と訳します。
つまり「愛と真理」というお名前なんです。
諦 退行的にとらえず、事実を事実として認める。
ここから物事は進捗して参ります。
避けようのない事実からは、逃れられないことを知って、いかに心を調えてゆくか、それが宗教の役割であると思います。
ということで、そろそろこの1文字シリーズは終わりにしようと思います。
自分のキャパの限界を知り、前へ進むため、諦め、いやいや転換をいたします。