寺とは
地元紙の月曜日には、「洗心」という宗教関係の紙面がある。
その筋の人ですから、一応目を通しますが、今朝は
「寺修復CF広がる」とありました。
檀家制度が存続の危機を迎えている一般寺院において、お寺の修復をクラウドファンディングで賄う、というもので、実例が増えているとのこと。
方法の一つであることは間違いありません。しかし何か違うように私は思います。
「寺」とは「建物」なのでしょうか?
私は寺は信仰だと思っております。
寺には必ず本尊があります。また、その宗旨の教えがあります。そしてそこにはその教えを説く者がいるのです。
これを仏教では「三宝」というのです。
CFで賄わねばならない、ということはそこに「信仰」としての維持が難しいということを披瀝していることになります。
信仰によって維持が難しいのであれば、自然の流れとして統廃合がなされればいいのです。
寺離れが目立つ昨今、と言いますが、布教をしなかった種が芽を出し、その刈り取りをしなくてはならない状況が現れたことを、この道に携わる者は回顧すべきであります。
全て「因果応報」ですから。