お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

エイブル 様。

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以前からどこかでアップしたいと思っていたことを書きます。

前回も書いた通り、毎月の6日は原爆忌日ですので平和公園へお参りに行くのですが、たいていその朝、あの不動産会社のエイブル さんが、多勢で公園清掃に来ておられるのです。

元安川沿いにズラーッと社用車が並び、スーツ姿の若い方たちが掃除道具を手に来られます。

 

会社として、あるいは支店として決めたことなのだと思いますが、良いことだと思います。

 

不動産会社の方は、土地や建物の仲介、斡旋を主な生業としますが、土地を捉えた時、少なからずこの広島という街の足元には原爆による被爆の事実があります。除染するとかしないとかそういう被爆ではなく、74年前に原爆による悲しみがとてつもなくたくさんあった、という事実です。

そう考えると原爆横死の方々のせめてもの安らぎの場所としての平和公園を、土地を扱う不動産会社の方が清掃して、その悲しみをお慰めすることは、ある意味道理であり、社長様の御発信か社員の方の御発信かは存じませんが、底に流れる「感謝ー畏敬」の姿は誠に美しいものがあります。

 

現象世界しか見えなくなりつつある昨今、目に見えない事象に目をやるエイブル という会社、誇らしく思うのは私だけではないと思うのですが。

 

 

垣根は綺麗になったけど…

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毎月6日は原爆忌、出張でない限り朝、平和公園へ読経を勤めにまいります。

1月から3月まで6日という日が出張で不在でしたもので、年明けはじめてとなりました。

昨年の台風で特に傷んでおりました、原爆供養塔周囲の垣根が新調されておりました。桜花爛漫の中、とても気持ち良い感じがして、さぞ御霊もお喜びの事と拝察申し上げました。

阿弥陀経を中心とした20分程の読経が終わりますと、一人の男性の方が一緒にお参りして下さっておられました。

「ありがとうございます。一緒にお参り下さったんですね。」と挨拶を交わしました。

とても気持ち良いお勤めをさせていただいたんですが、実は少し残念な光景があったことも事実です。

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日本人は桜を愛で、新しい命の喜びを共有する「花見」という文化があります。団体や地域などさまざまなコミュニティが親交を深める、とても良い文化だと思います。

しかし一方で、自分のお尻をふけない人がいるのも事実であります。

 

平和公園は昭和20年8月6日、8:15人類未体験の爆裂、熱波、熱風によって命を失った数多の御霊を慰霊、供養する場所です。

今を生きる人々が、そこで桜を愛で、楽しい時を過ごすこと、きっと御霊もお喜びの事と思います。しかし、自分のお尻をふけないようではいかがなものでしょうか?

 

この週末、花見をされる皆様、公共の道徳という花は自らが咲かせるものです。

まだ間に合います、平成のうちにお尻のふける日本人になりましょう。

 

国民の義務 投票

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4月7日は投票日です。

広島市では県議会議員、市長、市議会議員の選挙が行われています。

 

いつも選挙で残念な思いをするのが投票率です。

有権者のうちどれだけの人が投票したか。これが投票率ですが、毎回低水準をたどる傾向がありますね。

現在の日本は代議制であります。つまり私達の考えや思いを代弁してもらう人を選んで、働いてもらう、これが代議制であります。

投票に行かない人はどうでもいい人なんですかね?体調、その他の理由があって行けない人は仕方ないですが、仕事があれば期日前投票ができます。

元気なのに行かない人は、どうでもいい人としか言えないのではないかと思います。

 

人生100年時代を迎えた今、もっと自分の人生に責任を持つべきではないでしょうか。

どの候補者が自分の考えや思想信条に近いか、それを見極めて、まずは日本国民の一人として、きっちり義務を果たして欲しいものです。

 

それでも行かないなら、行政には一切小言を言わない決心をして下さい。サービスを受けられようと受けられまいと、また法律や条例が自己の利益を侵害しようと口出ししてはなりません!

 

皆さん是非投票に行って、真っ当な義務を果たして下さい。

 

鳳凰舞う金剛寺

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この写真は先月28日の夕方、総本山金剛寺、拝殿上空に舞った鳳凰であります。

不可思議な瑞相に思わずスマホを取り出して撮影しました。

実はこの日とその翌日、私のほか若干名は、とてもとても大切な作業を致しておりました。

 

その作業場所はまさに拝殿でありまして、我々の作業に対しても、大自然が認知してくださっておられたかに受け取らせていただきました。

読者の方には、一体何の作業?と思われるでしょうが、これだけは申し上げられませんので、ご了承ください。

 

今日改めてブログに、そしてFBにもリンク致しますが、この瑞相画像を1日にはご縁のある県議候補者三名、市議候補者二名に送らせてもらいました。

勿論、当選を祈ってであります。

 

それにしても不可思議な瑞相でありました。

願わくばこの瑞相が普く多くの人々に利益せられんことを。敬白

 

 

年度末

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今日は4月1日、新年度初日であり、また新元号「令和」が発表されました。

令和の御代となるまで一ヶ月、平成を改めて感じたいと思っております。

さて、とっても長い期間ブログ更新が滞りました。

御愛読頂いているお方におかれては、とうとう往生したかな?と思われた方もあったかもしれませんね。

怒涛のような3月を過ごさせてもらいました。

内容は表記しませんが、とにもかくにもブログ更新の時間が取れませんでした。

 

そんな中、竣工待ちわびた「往生極楽堂」が完成し、数回の内覧会を経て、今日正式オープン致しました。

このお堂、手前味噌かもしれませんが、世界に一つしかないお堂となりました。

 

念法信徒がなくなってのち行く世界。

至上の安心を得て、寿命の時まで感謝の生き方ができる体感のお堂。

 

ご本尊様は一丈八尺の大仏ご本尊様。

二十五体の来迎菩薩様。

供養菩薩や修行菩薩。

その他誰もが見たことのない、体感したことのないお堂であります。

 

今年度1カ年は行事日は除き、一ヶ月前までの申請により拝観参拝が出来ます。

感謝湧き上がる御堂。

きっとこのお堂は人々の心を極楽へ導いてくれることと思います。

 

「生かされて 生きている身の有り難さ

                               御堂に入りて 生死を離る」

言葉では語れないことが、この世にはあるのですね。

終活博覧会

先日、地元放送局であるRCC主催の終活博覧会に行ってきました。

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場所は南区役所前の県立産業会館、広いフロアに沢山の人が来ておられました。私が行ったのは土曜日でしたが、翌日の新聞には2300名との発表もありました。

 

地元大手の銀行や、弁護士事務所、行政書士会、葬儀社、保険屋さん、介護施設の法人、そのほか関連する様々なブースが軒を連ねていました。

メインステージではアナウンサーと、介護施設の方とのトークなどが展開されておりました。

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30分くらいしかおりませんでしたが、すごい人。

やはり社会が抱える課題の中で、自分自身のことを考えていこうという方が増えてきていることを確信しました。

ただ一方で、どのブースも本人対ブースという感が否めず、これでいいのかな?という疑問が残りました。

 

たしかに自分自身のことですから、考えていくことは大切です。ですが家族との関わりの担保はなされません。

トークショーの際アナウンサーが、「子供はあてにならないかも知れないですし」との言葉が出ていましたが、そもそも一番土台となる部分が無いことを前提にいろんな話が展開されている。

 

対症療法と言うのでしょうか、いま一般に認識されている終活とはこんな形の提供ばかりであります。

 

私は人生の終焉を迎えようとするとき、人は最大値の人への執着を持つものだろうと思っています。

長く連れ添った相方との別れ。きっと寂しさの極みではないかと想像するのです。

もっと本当の終活の意味を知って、今日一日をいかに生きるか、これを知ってもらえる機会を作っていかなければならないと感じたのでありました。

 

どうか目の前の人ひとりを大切にできる生き方をして下さい。

祟り⑨

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いよいよ完結!にしたいと思って書き始めます。

前回は「なんか」の話でした。

でも改めて日本人は目に見えない存在を認めて生きていることが確認できました。

 

皆さん地獄って知ってますか?

えっ、毎日?我が家は修羅地獄?

まあそんなかたは私のところへ相談に来て下さいよ。早いうちに。

まあ、知ってるというか、聞いたことあるけど、見たこと、行ったことない。ですよね。

見たことも行ったこともないから、無いって言えますか?言えないですよね。

 

仏教では地獄、極楽といったことを説きます。

一般には私達が死後、行くところと言われますが、行ってきた記憶がある方がないもので、ある、ないの断定は出来ないわけですね。

 

あったらどうする!

 

現世に生きる我々は、常に心と言葉と行いによって業をつくると言われます。

善き業、悪しき業、両方あります。

で、簡単に解釈するとこの業の善と悪と、天秤にかけて、善多ければ極楽近く、悪多ければ地獄近しという感じなんです。

 

で、行くときは?そう死後でしたね。

死後とは死んだ後、生きてない状態、つまり生命の維持活動が停止した状態。なので、ここから先は善も悪も業をつくることは無いのです。

ということは、まさに取り返しなしであります。

戻れませーん!

 

さあそんなとき、地獄が良いですか極楽が良いですか、その行き先。やはり極楽ですかな?

 

なれば善なる業を増やし、悪しき業を減らす努力をせねばならないですね。

「なんか」って心配しなくても良い生き方を選ばれたらいかがでしょう。

 

祟り。作るのは実はあなた自身です。

善き業を心がけて生きる人は祟りの心配はありません。でも悪しき業をつくることで、祟りのリスクは高まります。

 

奢り高ぶることなく、すべてに感謝して、人に優しく愛を込めて。常に謙虚さを忘れず、目に見えざる存在に対し、畏敬の思いを持つならば、祟りとは無縁の生活が出来るでしょう。

 

祟り、ありますよ。でもすべてその種は自らが蒔いたものであることを、自覚して下さい。

 

あー、何とか完結できました。

でもありがたいことに、気がつけば陽数の極、⑨で結ぶことができました。

 

これからもお坊さんが語る終活ブログ、ご愛顧のほどよろしくお願い致します。