お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

猫又の滝

奈良県十津川村に猫又の滝というお滝があります。

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この滝には八大龍王姫松明神という神様が御鎮座されておいでです。

今日は年に一度の御祭礼、奈良県和歌山県から200名の方々が参拝に来られました。

 

私は昨日十津川入りしましたが、昨日は大雨。当日の祭礼はいかに?と思いましたが、今日はうってかわっての晴天。

現地社殿前の祭礼ならびに十津川念法寺での行事も無事終えられたのでありました。

 

この明神さま、今から70年ほど前、開祖様の夢枕に立たれ、「我が棲む山の木を総本山の普請に使用すべし」と託宣。開祖様はその夢の情景を語るに、周囲の人、そは猫又の滝のことと口を揃え、その後山林の持ち主、中上氏の寄進により、総本山の普請が進んだという、念法守護のご霊神。

今も奧駆けの行者の方々が拝礼、水垢離をとられるお滝。

頭の先から足の先、いやいや心の底からご神威を感じる神秘の滝です。

お近くは行かれた方、是非一度お立ち寄りされては。

十津川村南都銀行から玉置神社へ向かう道中にお滝を背にした社殿が祀られています。

教育勅語、何も悪くないですよ。

柴山昌彦文科大臣が、教育勅語について言及したことで、また野党が騒いでいるそうです。

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教育勅語の口語文

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は、教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合いそして、自分の言動をつつしみ、すべての人々に、愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。

そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるやうに、心から念願するものであります。

 

どこか悪い文言がありますか?

 

戦後我が国は、当時の日本を怖れたアメリカによって、二度と白人に刃を向けない国民性を作るための「日本国憲法」をあてがわれました。

戦後の日本人は権利、自由、個人という考え方を軸として「バラバラ」という社会を作って来ました。

でも自然災害の多発する今日、絆という言葉がクローズアップされ、「たすけあう」精神へのゆり戻しがされつつあります。

このゆり戻し、人の悲しみが伴わず出来たら良いのですが、悲しみを伴わなければ、我々の気づきに至らない、ということなのかも知れません。

いずれにせよ、教育勅語は今昔を問わず、人道を説くものです。

みんなで柴山大臣を応援しましょう!

広島東洋カープありがとう!

平成最後のセリーグ優勝を、9月26日、2位のヤクルトとの直接対決で、三連覇の偉業を成し遂げてくれたチーム緒方、本当にありがとう😊

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昨年、二連覇を成し遂げ、今年もリーグ優勝🏆

本当に広島人としてはこんな嬉しいことはない。

今年は特に7月に西日本を豪雨が襲い、広島はたくさんの悲しみに覆われた。そんな中、彼らは正に自分たちは「市民球団」である事の、深い深い自覚を持って一戦一戦を戦ってくれたと思う。

今年は特に自然災害に多くの地域が見舞われている。罹災の方達は時に明日生きていくことにさえ迷いを持たれた事と思います。でもそんな方たちを励ますかのようにスポーツではアスリートたちが「あきらめない」想いを発信してくれているのではないでしょうか。

 

カープの優勝はファンのみならず、多くの人を勇気づけてくれているに違いない。

彼らの姿を通じて「生きる」ことに前向きになってくれる人が一人でも増え、命を頂いている尊さに気づいてくれる人が増えることを願ってやみません。

 

さあ、次の高みを目指し大滝を昇って龍となし、人々の心を潤す「慈雨」を降らさんことを。

終活講演会終わりました。

先日の和木町と本日の西区民文化センターでの、終活講演会が終わりました。

今日はスタッフ含め60名の方が、マジック1のカーブの試合に後ろ髪を引かれながら、集まってくださいました。

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今回のお題は、「お骨とお墓とお供養と」

多死社会に突入する私達は、これからどうお骨やお墓と向き合うべきなのか、そういったタッチでお話をさせていただきました。

自己評価としては、実は45点くらい。正直申し訳なかった、という感じでした。

 

第1部の講演は60分なのですが、これが足りない感じだった気がします。

本論に入る導入に、もう少し時間をかけて話をした方が良かったかなと、感じました。

また、構成を考えてみたいと思います。

 

そんな中でも、私の話を良かったと評して下さる方もあり、そんな方たちにもっともっと、終活がいかに大切かをお伝えしていかなければ、との思いにかられました。

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第2部はラフな形でうれしい、たのしい、しあわせの時間を過ごしていただきました。

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オーラカメラ、ハンドマッサージ、カラーセラピー、そして私との面談コーナーと、美味しいケーキを召し上がっていただきながら、交流のひと時を過ごしていただきました。

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終活講演会も講座も、会場はほぼ「高齢会場」

今日もしっかりお伝えしました。

「私も死ぬんだ、という自覚をしてください!」と。

これが腹の底からわからないと、人生の時間を無駄に過ごしてしまいかねないのです。

私達は死んで終わりではありません。それはほとんどの人が感覚的に知ってます。

外国は知らないですが、今日会場に来られた方全員が、墓石と喋れる人たちばかりでした。

すごい能力と思いませんか?

墓石と対話できるんですよ、日本人は。

この感性を生まれながらに持っている私達にとって、先祖とはどういう存在なのか、私が語るまでも無いのです。

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でも、多死社会に至る中でその感性を無視した流れが出てきています。例えば「墓じまい」です。軽々に行うべきことではありません。

その辺りのことをお伝えしたく、講演会を開催しました。

 

これからも様々な角度から、後悔少ない人生のため、お話をしていきたいと思います。

 

改めて、スタッフの皆さまありがとうございました。

                                                合掌     小川拝

青年交流研修会

本日、山陰・山陽ブロック青年交流研修会が開催され、中国5県の青年さんが来寺され、学びと交流の時間を共有しました。

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開会後すぐに「年齢ピラミッド」なる全員型レクレーションをして心をほぐし、そのあと私がレクチャーして、慰霊法要から開祖様の思いを学んでいただきました。

豊かな時代に育つ彼らに、先の大戦で同世代の若者が愛する人のために命を捧げた事実を、伝えさせてもらいました。

 

お昼は信徒さんが真心込めて作ってくれた、美味しい美味しいカレーをいただき、お腹も満腹となりました。

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午後は班ごとに分かれて「なりたいわたし」について座談会を行い、コミュニケーションを図りました。

予定通り、15時に終了し、山口県鳥取県島根県岡山県への帰路につきました。

 

平素、シニアの方を対象にお話することが多い中、今日は若者に向けてお話しました、が、

聴かれた方はいかが思われたか?大丈夫だったかな?

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この青年の輪が太くなり、未来の住み良い世づくりのため活躍してくれることを、強く願わせていただきました。

関係各位に改めてお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

自然災害をどう受け止めるか。

今夏、振り返ると自然災害の連続であった、と言えるかと思います。

6月18日、大阪北部地震

7月6日、西日本豪雨

9月4日、台風21号。

9月6日、北海道胆振東部地震

たくさんの人が命の営みを止められました。

 

何かあると、どこかに責任、原因を見つけることに慣れきっている日本人。自然災害の発生の責任、原因は?

 

人が亡くなることにより、悲しみが発生します。私たちがもっとも受けたくないもの、それが悲しみではないかと思います。

そのもっとも受けたくない悲しみを避けるため、人は話し合い、研究し、知恵を出し合って対策を講じます。しかしこの自然災害の前に、人知は時として何の効果も無い状況となるのです。

 

亡くなられた方を悼み、追善のため供養を手向ける。人として然るべき行為であります。

ではその次にすべきことは何でしょう?

復興のため、技術を投じ、被災された方々の不自由な生活を改善すること、もちろんして行かねばなりません。しかし、その前にしなくてはならないことがあると思うのです。

 

祈り」です。

 

犠牲になられた方を弔う際、ほとんどの方が宗教的感性のもと、死者を弔われます。この宗教的感性が存在すること、即ち、神というか仏というか目に見えざる存在の認識が、そこには歴然として存在しているのです。

なれば、全ての人が自らが信ずる存在で構わない、目に見えざる存在に天災地変無からしめる祈りを途切れなく捧げることが大切かと思います。

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台風で倒木した楡の木の根株から、彼岸花の芽が伸びていました。

毎年この時期、欠かさず芽を出し、真紅の花を天に向かってひろげます。

これも自然の営みなんです。

大自然に対して、私たちは如何に向き合うことが正しいのか、一人一人が考えないといけないことを知らされているのかも、との考え方は無責任でしょうか。

みんながバラバラに。

昨日の地元紙に

「個人情報  見守りの壁」との見出しがありました。

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その向かい側には

「子供たちを犯罪から守ろう」との全面広告がありました。

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前者は高齢者への見守りに、個人情報保護が弊害となっているという事を伝えています。取り上げ方としては、民生委員さんが知っている、地域の高齢者の情報を、守秘義務の下、漏洩できない。でも一方で、地域全体で情報を共有できれば、もっと見守りが出来るのではないか、とのことであります。

 

後者はうちの子も小学低学年の頃、教えてくれた「いかのおすし」であります。

この中で、行かない、乗らない、大声を出す、すぐ逃げる、知らせる。全く問題なしです。

しかし、子供への加害行為として、

声かけ34.2%

つきまとい16.0%

写真撮影13.9%などがあります。

 

このうち1番多い声かけ、読み違える人いませんでしょうか?

「子供に声をかけたら、予備犯罪とみなされるかも、だから子供に声をかけないようにしよう。」という風に。

 

今の日本の社会が抱える大きな問題の一つがこの「個人主義」だろうと思います。

 

「触らぬ神に祟りなし」そうかもしれないですね。でも、神の祟りを恐れる人は、神の存在を信じる人ですよね。

なれば「触らぬ神からお陰(功徳)なし」でもあります。

「我関せず」もうやめませんか?

人は人と関わらねば生きて行けません。

 

戦後日本は「共助」の社会から「公助」偏重の社会へとシフトしました。全体主義の是非はあるかもしれません、ですがあまりに占領政策に素直にハマりすぎたのではないでしょうか。

 

その結果、少子化となり、社会保障に頼りきりの社会となり、となりの人が誰なのか、何をしているのかも知ろうとしない、常に声をかけて、心を育まねばならない時期の子供に声がかけられないという錯覚まで。高齢者が町内に溢れかえっても、助け合えない、とまあ負の遺産は山ほどあります。

 

みんなバラバラです。

何がこんなにバラバラにしているのか、ちょっと考えてもらえないでしょうか?

 

夏休みが終わり、もしかするとまた青少年の自死がニュースに出るかもしれません。

キラキラ輝く彼らの瞳を誰が濁らせているのでしょう。