お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

超高齢社会の余波「空き家」

お盆のお休みを海外で、という傾向がある中で、それでも実家でお墓参りを、という考え方の方もまだまだ多くいらっしゃいます。ある意味正しい行為と言えるでしょう。

 

そんな中、社会が抱える問題としての「空き家」のことについての記事が載っていました。

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総務省の住宅土地統計調査によると、昭和53年当時、空き家は268万戸だったが、平成25年には820万戸に。

野村総研は平成45年、あと15年後には1955万戸、空き家率27.3%との試算を出している。

 

空き家は様々な負の財産となる。

火事、敷地内の雑草、犯罪の拠点など、不安材料がつきまとう。

しかし少子化の波は止まらず、国内の家屋の需要は激減する。

 

今を生きている私達の世代としては、なるべく空き家を作らない努力程度で、お茶を濁せるかもしれない。でも先の日本ではそうはいかない状況が来る。

この状況からも日本の弱体化が明らかとなっているのがよくわかる。

 

高度経済成長を遂げた日本は、成長しない経済時の経験が無い。今後経済は間違いなく疲弊する。その中でいかに共存の社会構造を維持することができるのか、これが今後の課題だろうと思う。

 

空き家を作らない努力、一つ名案があります。

「同居」です。

生まれ育った地域に、世代を継承して同居生活を送る。多分これがもっとも合理的、かつ理想的なこの国の将来を作る手段ではないでしょうか。でも決して新しい方法ではありません、昔に戻ればいいのです。

年寄りも安心、子供らも安心。お互いが安心出来る環境を互いに求めるべきと思います。

 

「空き家」は家族がバラバラになっている「遺産」と言わざるを得ないのかも知れません。

人生、嬉しいこともあるよ。

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週末あたりから、報道各社が夏休み明けの若者の自殺について発信をしている。

今朝の新聞紙面にもそのことが掲載させていた。

紙面によると昨年の国内での自殺者数は21,321名と8年連続で減少。一方、19歳以下は前年比47人増の567人だと言う。つらい。

 

私には中学生の息子と娘がおります。

思春期になり、特にお兄ちゃんの方は、"順調に"成長の過程を進捗しており、親の勉強を日々させて頂いております。

しかし、幸いに学校でのことも教えてくれたり、友達のことなども話してくれる環境があるので、そこのところは有難く思っています。

 

話は少し変わりますが、来年は「御代がわり」の年であり、今上陛下がご譲位あそばされます。

第125代の天皇陛下が現在の天皇陛下であらせられますが、この第数は初代神武天皇様からであります。2600余年という時の流れが、今なお続いているのです。

この時の流れ、これは「愛」によって継続されてきたものと信じています。

そして、その「愛」の始まりは「愛される」ことからスタートしているのではないでしょうか。

 

この世に生をうけた瞬間、「愛される」ことがスタートします。いや、懐胎の時からが正しいのかもしれません。いずれにせよ、全ての人は「愛される」からスタートしているのです。

 

昭和54年、第46回NHK全国学校音楽コンクール、中学校の部の課題曲に山上路夫作詞、池辺晋一郎作曲「時は流れても」がありました。

 

当時私は中学1年、合唱部に所属していました。(今は合掌部の方ですが)

当時顧問の先生は木村七郎師、ワイルドな風体に似合わず繊細な感性を持った先生でありました。その先生の指導のもと、いわゆるNコンを目指して、毎日唄っていたのが当時でしたが、きっと今でも、その課題曲は通しで譜面なしで歌えます。

そんなこと自慢しても仕方ないですが、その歌詞の最後にこうあります、

 

時の流れは止まらないけど

自分の時間を生きていれば

いつかはきっと

あなたもわかる

時が育てた贈りもの

 

この歌詞をいま改めて実感できる年齢になった気がします。

悲しいこと、つらいこと、情けないこと、無いわけないでしょう。でも、先に歩んだ人の知恵や経験を借りながら、時を経ることで、この「贈りもの」を受け取ることが出来るのだと思います。

 

若い人たち、時の流れはきっと嬉しさや楽しさ、喜びをもたらしてくれますよ。

年上の方々、そのことを自らの経験を例えとして、語りかけてあげて下さい。

 

「愛」によって紡がれた糸は、「愛」によってのみ継続されると信じます。

この夏の若者の自殺が無く、愛する者の悲しみが起こらないよう、祈ります。

大化から平成へ

 

明年4月、今上陛下にあらせられてはご譲位され、平成の30年の御代が終わります。

昨夏の陛下のお言葉は「終活」そのものではなかったでしょうか。

 

ご自身以外の人々が、慌てないよう、また国の公務が滞らぬよう、正に生きることの手本を示されたお言葉であったと感じさせていただきました。

 

30年前、昭和の天皇陛下崩御あそばされた時は突然のことであり、国民も慌てざるを得ない状況であったと思います。しかしこの度は前もって諸準備が出来、誰もが心の準備ができる環境であろうと思います。

 

そんな中、元号表記について何やら変な話が入ってきました。

それは運転免許証の元号表記を廃止し、西暦表記にしてしまう、という話であります。

 

わたしは昭和生まれの人です。子供達は平成生まれであります。もちろん元号が無くなる訳ではないですが、運転免許証という自分の身分を証明するにポピュラーな公的文書に、元号が無くなるのには違和感を禁じ得ません。

 

警察庁によると外国人の免許保有者が86万人に登ることや、マイナンバーに西暦が使用されていることなどを説明していますが、ここは日本でしょ。

 

この話が聞こえてきたのでちょっと調べますと、元号の始まりはあの大化改新の「大化」から始まっています。確か645年でしたか?

そうすると実に1373年の永きにわたり、我々のご先祖様は元号を使ってきているのです。

ちなみに247という数が元号の数だそうです。

 

日本人は元号という時代のスケールを持つ民族であります。

今回もし、免許証の元号表記がそのまま通されますと、のちして元号自体不要という論法が出てきます。

 

先日も皇學館大学の松浦教授のお話を聞かせていただきましたが、日の本の国は、国民を「大御宝」として、日々国の安泰と国民の安寧を祈り続けておられる「天皇」をいただく国家です。正にそれが日本の文化の極みであります。

元号もその文化の大きな柱であります。

軽々に表記の廃止をすることは、私達の父祖に対し不敬な行為なのではないでしょうか?

 

9月4日まで警察庁ではこの件のパブリックコメントを募集しています。

心ある方、意見公募への投稿をお願いしたく思います。

 

提出方法はいずれも氏名、住所、電話番号またはメールの場合はアドレスを表記の上、

①メールはuntenmenkyo@npa.go.jpへ。

②郵送は〒100-8974

               東京都千代田区霞ヶ関2-1-2

               警察庁交通局運転免許課企画・法令係

                パブリックコメント担当あて。

③FAXは03-3504-3611

いずれも、パブリックコメントと表記が必要だそうです。

 

何か欧米の慣習に習うことが、先進的考え方であるような、古い考え方がまだまだあるようです。目下世界の中で最も人の命に関与できるIPS細胞は日本人が見つけたんですよ、知ってますか?

世界の範たる国として、伝統によって守られてきたことを今一度確認すべきであります。

 

心ある方、拡散をお願いします。

大東亜戦争戦没者慰霊法要

今日、お寺では大東亜戦争戦没者慰霊法要が営まれ、先の大戦で散華されたご英霊に感謝の誠を捧げさせていただきました。

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この法要は信者さんからの要請により、12年前から毎年8月の第三日曜日に勤めさせていただいております。

 

終戦の日には大阪の総本山で慰霊法要を執り行いますが、広島から参拝もなかなか叶わず、心ある方達からの希望で、勤めております。

 

現代の学校ではいわゆる自虐史観が専らとなっているようですが、日本が開戦に踏み切らねばならなかった経緯こそ、公教育の場で教えてあげて欲しいと思います。

口を開けば、侵略戦争、強制連行、そんなキーワードしか聞こえて来ませんが、要は兵糧攻めにあったこの国が、自存のために踏み切らねばならなかったのであり、決して欧米がアジアの諸国を植民地支配し、搾取を繰り返した歴史とは明らかに違うのであります。

 

「死んだら靖國で会おう」

この言葉の意味するものを皆さんはどう捉えますか?

私は宗教に関わるものです。ですから当然、魂という存在を信じます。そうあった時、前述の言葉は彼らの魂の行き場に関わる言葉であります。しかしこの国はWG IPの施策の下、戦勝国に押し付けられた「平和憲法」という偽善法の下、陛下はおろか、総理大臣までもが彼らの鎮まる御社にぬかずく事が許されないのであります。

 

終戦末期、特攻が組まれたことは誰もが知っています。作戦としての是非は別として、二十歳に満たない彼らが、気高い気概を持って散華したことは紛れも無い事実ではないですか?

もし、あなたのご子息が国家のために命を捧げて、そのご子息が侵略戦争の急先鋒であったかの如き評を下されたらいかに思いますか?

 

誠に悲しいかな、この国の病巣はかなり蔓延してしまっているとしかいいようが無い。

 

彼らが将来の我々に何を描いたのか、どんな人生を送って欲しいと思っていたのか、せめて、せめてこの月には、九段まで行かなくとも、思いを馳せてあげて欲しいと思います。

 

彼らの思いに恥じないこの国を、早く取り戻さねばならないと、私は考えます。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

送り盆

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いっときの暑さからみると、かなりすごしやすくなりましたね。

今日は五山の送り火の日。

ご先祖様をお送りする日であります。

地域や宗派によっても違いますが、お盆にご先祖様をお迎えし、またお送りするという考え方は日本全国に潜在的にあるようです。

 

皆さんはどうやってお迎えされましたか?

また、いかにしておもてなしされましたか?

また、お土産は持たせて差し上げましたか?

 

一年に一度しか来られないお客様、それも自分自身のルーツの方々、ちょっと考えないといけないんではないでしょうか?

 

「でも、お供え物をしても実際には減らないし、味も変わらない」

そうですよね。千疋屋のメロンをお供えしても、減りませんからね。

じゃあどうやっておもてなししますか?

 

話は少しそれますが、皆さんのお宅にはお仏壇はありますか?

ある方はそこにお花やお供え物、お茶やお仏飯をお供えしませんか?されますよね。

 

ということはお盆だけじゃないということ。

「地獄の釜の蓋があく」と言いますが、一方で日々にご先祖様を感じながら生活しているのが私達なのです。

 

お盆もそうでない時も、ご先祖様へのお接待、一体何が喜ばれますかね?

 

さあ、今日は解答せずにおきましょう。

この答えを知りたい方は、9月に2回開催される私の終活講演会に御来場下さい。詳しくは近日発表いたします。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

信仰と祈り

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長崎原爆の日、6日に続き11:02にはそれぞれ許す環境下、想いを馳せたでありましょう。

私はようやく初盆のお参りに出かけさせていただきました。

今日は安佐北区から安芸高田市へと車を走らせました。

 

県北は山に囲まれた地形が多く、車窓からの山肌に何本もの地滑りの跡が見られました。

「あの麓には民家や集落はあったのだろうか」

そんな思いしか出てこない。

 

西日本豪雨から一ヶ月が経つが、まだまだ時間が動いていないところがたくさんあるようです。

 

ふと、祈りについて考えていました。

「どうか安否不明者の方が早く見つかってもらえますように」

「罹災された方が一日も早く、元の生活を取り戻してくれますように」

「二次災害など起こらないように」

こんな心境はこの度の災害に、少しでも関わりのある人には、自然と湧き上がってくる感情ではないでしょうか。

これらは「祈り」と言えるのではないでしょうか。

またこの「祈り」の状態は目に見えざるものに対して、想いや言葉を投げかけている状態です。即ち、私達自身が信仰者であるという事実を示してくれるのであります。

 

いろんな方とのお出会いがあります。

その際、謙遜かもしれないですが、「何も信仰を持っていませんから、何もわからず」といった言葉を聴く機会があります。

この方たちは災害にあって、悲しみや苦しみを感じている方に対して、何も思わないのでしょうか?

そんなことはないでしょう、身近な方があればなおのこと、その思いは強くなるのではないでしょうか?

ならば特定の存在であるないはありますが、何かの存在にお願いしていることに他なりません。だとするとその「祈り」は「信仰」そのものです。

 

目に見えない存在に心を向けるこれが「信仰」のはじめの一歩です。だとするとほぼ全ての人が信仰のはじめの一歩を踏んでおられることになります。

罹災は大きな悲しみ、痛み、苦しみを伴います。しかしここで転ぶだけではいけない、起き上がりの一つとして、「祈り」を持つ自分は「信仰」を持っているのだ、ということを自覚をするきっかけとすべきでもあります。

 

全ての人が陛下にならって、祈らねばならないと思うのであります。

 

世の中に天災地変が起こりませんように。

 

悲しみが少しでも少なくなりますように。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

広島原爆の日

昨日広島は73回目の原爆の日を迎え、平和公園では広島市主催の平和記念式典が、安倍総理や各国の要人臨席のもと行われました。

 

例年だと6:15からの広島県宗教的連盟が主催する慰霊祭に出席するのですが、この度は機動隊の方の送り出しのため欠礼しました。

ですが、メルパルクで行われます、宗教者が集う昼食会には出席させていただきました。

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神道、仏教、キリスト教、その他の宗教者が親交を深めるため、毎年行われています。

バチカンからジョセフ・チェノットゥ大司教様、また長崎から高見三明大司教様、比叡山延暦寺や、京都の清水寺などから諸大徳が、神社本庁や、教派神道の先生も来広くださって、平和促進のため、宗教者がせねばならないことを再認識いたしました。

 

そして昨年からもう一つ、この日に大切な方がお寺へ来てくださるようになり、お客様の昼食が終わる頃、お寺へ戻りました。

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その大切なお客様とは、東トルキスタンのアフメットジャンオスマン亡命政府大統領であります。

彼はウイグル民族を根絶やしにする中国の脅威に立ち向かっている方です。

 

今年で第10回を数えた8・6広島平和ミーティングにおいて、私達日本人のために中国の脅威を伝えに来て下さっておられます。

 

一般には新疆ウイグル自治区と呼ばれていると思いますが、中国は彼らを、彼女らを人として扱っていません。もしかすると動物以下であります。その事実を我々に伝え、警鐘を鳴らしてくださろうとされる方なのです。

その大統領と1時間ほど対談させていただき親交を深めさせていただきました。

 

夜は青山繁晴参議院議員の講演会に参加。

熱帯夜の続く広島の夜は、憲法改正でより熱くなったことと思います。

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講演会の後、主催者にお断りの上、今月28日午後2時からの仏教文化講演会のチラシ配りをさせていただき、1日を終えました。

 

天から与えられた時間のスピードは万人平等です。しかし、使い方によってそのボリュームは変化するのかも知れません。

 

「忙しい」と言いますが、意外と使い方に問題があるのかも知れませんね。

お互い保証のない明日に、過大な期待を寄せずに生きてまいりたいものですね。

ご覧下さりありがとうございました。合掌