お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

何が良かった?

朝から一日中強めの雨が降っていた一日。

沿道の木々はきっと喜んでいたと思います。

 

皆さんは何に喜びましたか?

雨で喜ぶ植物たちがいるんですから、万物の霊長たる人間は、もっともっと大きな喜びがあったはずです。

 

少し目を閉じて、一日を振り返ってみてください。何気ないことが、結構喜べる材料ですよ。

 

トイレで用が足せた。

 

ごはんが美味しく食べれた。

 

一日、倒れずにお仕事ができた。など。

 

あげればキリがない。

キリがないほど、喜べる材料が実はたくさんあるのではないでしょうか?

 

ところで、近くにいる人に、今日一日分のお礼言いましたか?

なんだかんだ言っても、身近な人からの恩恵無くして、我々は円滑に進むことができないかと思います。

 

「ありがとう」たった5文字ですね。

勇気を出して、意識を持って言ってみてください。

何かが変わったらまた教えてください。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

第9回 ほの灯り金剛寺

月を愛でる秋の夜に、第9回ほの灯り金剛寺が開催されました。

毎年、地域の方への感謝とあわせ、信徒さんのご家族の皆様にも、楽しんでいただく催しとして、9年前から開催されているコミュニティ行事です。

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一万個を超えるカップロウソクに夕闇迫るころ、入場者の方々の手により灯りが灯されて行きました。

 

 

入場開始前から沢山の方々がお待ち下さり、ボサノバのお迎え演奏で、お出迎え。

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6時のオープニングからステージでは、

ほの灯り法話

ホーミー演奏

スローミュージック演奏

千手観音ダンス

が行われました。

 

ほの灯り法話は不肖、私が担当し、日本書紀から「月」のお話をさせていただきました。

 

ホーミー演奏では、岡崎俊介さんとのアンサンブルでモンゴルを彷彿させる音楽を聴かせていただきいただきました。

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スローミュージック演奏では、当日限りのアンサンブル、MON chouchouさんたちによる、何か懐かしい気持ちになる演奏を聴かせていただきました。

 

毎年恒例の演舞、千手観音ダンスはやはり一番人気。ステージの前には沢山の人だかりとなりました。

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中央ブースには「一念祈願」 

カップには思い思いの願いを書いて、献灯。

老若男女、願い事をシッカリ書いていました。

やはり、何より健康ですね、

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20:30、美しさを惜しみながら、来場の皆さんは帰路につかれました。

 

年に一度、月を愛でる秋の夜の「ほの灯り金剛寺」 お月様も優しく微笑んで照覧下さったことでしょう。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

96歳という「苔」

一昨日、大切な信徒さんのお一人が往生の疎外を遂げられました。行年96歳でありました。

 

昨夜は雨足の強い夜にもかかわらず、本当にたくさんのお仲間がお別れに来ておられました。

 

45歳で最愛のご主人に他界され、女手ひとつで一男三女を立派に育てられた母の強さには、やはり強い信仰がありました。

 

ご自身がいただいた仏恩に対し、生涯をかけて報恩の道を通られた人生は、信徒さんを牽引する役目の私自身が教化されるお姿でありました。

 

今日の葬儀、告別式は昨夜と打って変わって晴天のもと、これまた沢山のお仲間によってお見送りされたのでした。

次から次へと信徒さんのお仲間が御焼香される中、ふと

 

「住職としての私に万一のことがあれば、おそらく立場から沢山の御弔問があるかもしれない。でも、立場がなく、ひとりの信仰者としての私の場合、果たしてこれほどの方が来てくださるのだろうか?」そんなことを思いました。

 

普段から今日一日、今日一日が大切とお伝えすることを専らとしていますが、本当に最期の時にこそ、その人の真価が現れることを、学ばせていただきました。

 

斎場までお伴し、収骨に向かう時、庭の一角に山奥の立地が成した情景がありました。

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まさに、一朝一夕で出来ないもの。

人生に苔を生やし、まわりのひとに、その深みからなす味わいを感じさせられる、この度のおばあちゃんのようにならないといけないなぁ、と学ばせていただきました。

 

今日まで、その姿をもってさとして下さったことに、深い敬意と感謝を捧げたいと思います。

おばあちゃん、ありがとう。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

「あんたと私、どっちが先かわからんよ」

来月14日、14:00〜中区のアステールプラザで行う、お坊さんが語る終活講演会「あんたと私、どっちが先かわからんよ」のパワーポイントが一応の完成を見ました。f:id:obousansk:20170926234801j:image

私の持ち時間としては75分あるのですが、スライドで27カットにもなってしまい、時間配分をよく考えないと、終い駆け足になってしまいそうな気がします。

 

区民センターなどに置かせていただいているチラシの反響か、ぼちぼちありまして、電話やファックスでの申し込みをいただいています。

 

お一人でも多く、本当の安心の生活に至ってもらうための一助になれば、との思いであります。

 

お坊さんがすべきことは、安心の生活を見つけるお手伝いかと思います。

安心を与えることなど、到底出来ません。

でも、安心に至るための少しのお手伝いはできるように思うのです。

 

この世に存在する悲しみが、一つでも少なくなるために何かができればと思います。

 

興味のある方は、お尋ね下さい。一応消防法による定員がありますので、事前申し込みをしていただいております。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

遺骨の行き場

昨日の産経新聞朝刊に

 

増える無縁遺骨

集合住宅から10柱超

東京、葬儀業者が放置か

 

という記事がありました。

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記事によりますと、粉骨業者に依頼をかけた都内の女性宅に、身内ではない遺骨の骨壷があったという。女性の主人はかつて葬祭関連の仕事に従事しており、身元不明者や引き取り手のない遺体を自治体の委託を受けて火葬後、そのまま放置した可能性を指摘しています。

 

「やっぱりね、そうでしょ」という感じです。

 

この話、皆さんは対岸の火事の如く、評論家的な視野で眺めてはいけませんよ。しっかり我のこととして見つめていただきたい。

 

「墓じまい」などという言葉が新たな日本語として出てきている昨今です。こんなことは当然ながらあり得る話だと思いませんか?

 

「遺骨」とは何ですか?

 

人には長くとも短くとも生涯、または人生というものがあります。

 

その中身がいかなるものであろうとも、一個人の人生であることには、何の区別もありません。しかしこれだけ少子化が進み、高齢者を支える人口が減少する中で、遺骨に対する軽視はひとつの流れです。

 

生きている親でさえ、施設へ預けて面会にも行かない。

次の対面は息が絶えてから。こんなケースがよく聞かれます。

 

亡くなってしまったら何も訴えません。

遺骨をどう扱おうとも、「虐待」とは言われません。

 

一方でこういったケースの要因として生活保護受給の高齢者の方の存在があげられます。

いわゆる「無縁」という人々もそうなる比率が高いのではないでしょうか?

 

すでになっている部分はどうしようもありません。しかしここから先、どうすれば少しでも回避できるのか。

 

とっても長い時間がかかりますが、「家族」という存在意義を正しく認識させることです。

 

結婚しない若者が増えています。

彼らはいずれ必ず、「他人」のお世話になります。ですがここで考えてください。日本は少子化高齢化です。何歳の他人が世話してくれるのですか?

80歳の人の世話を80歳の他人ができるのですか?

 

もっともっと日本人は、どうすべきかをちゃんと考えて、ちゃんと行動すべきです。

このままでは、一つしかない命を我々のために尽くして下さった、九段にお鎮まりの方々に申し開きが出来なくなります。

 

他人事ではない、老いた自分、遺骨となる自分のことです。

本気で考えてみませんか。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

山陽ブロック教師研修会

今日は岡山念法寺で山陽ブロック教師研修会が開催され、150名余の在家の教師の方々が一同に会し、教師の本文を改めて学ばせていただきました。

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私たちの生きる目的から始まり、一人一人のなすべき具体的方法まで、研修させていただきました。

 

広島からは、市内から車2台、大竹、和木方面から車一台で分乗し、元気に研修を終えました。

 

この後は今日の研修でいただいた教えを、実生活に活かしていただけることを、祈る限りです。

 

閑話ですが、お茶をいただいた時に出ました和菓子が可愛らしかったので、添付しておきます。ハロウィン関連の商品だそうです。

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こんなかわいい和菓子があるのですね。

ご用意下さった方の、お気持ちに感謝です。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌 

フェルナンド・フィローニ枢機卿

先日、バチカンからフェルナンド・フィローニ枢機卿が来広された記事が、地元紙に掲載されていました。

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キリスト教の最高位にある、フランシスコ法王の招聘は、広島県はもちろん、世界連邦日本宗教委員会、その他の団体も働き掛けをしているようです。

 

全世界に約20億人いると言われるキリスト教の信者。その最高指導者が法王であります。

もし、法王が来日し、長崎、広島に立ち寄り、世界に向けて発信をするならば、それはものすごい影響が見込まれます。

 

国際社会の中では、自分自身の宗教や思想を述べられない人は相手にしてもらえないと、以前聞いたことがあります。それだけ、海外では日本と違って、宗教のもつ個人への影響力が大きく存在しているということです。

 

隣国に影響するかどうかはわかりませんが、少なくとも、キリスト教圏の国には強い影響力をもつことになります。

 

今年、比叡山宗教サミットは30周年を迎えました。(8月4日のブログを参照下さい)

 

世界の宗教の指導者が手をたずさえ、人の幸せのために祈り、そして活動する。宗教本来の役割です。

 

その意味に於いても、是非ともバチカンからローマ法王が来日し、原爆の悲惨な事実を、世界の指導者、為政者に発信してくださることを、強く強く願うものであります。

皆さんも何かの機会には、そういう意識を持っておいて下さい。

 

この世界に生きとし生けるものすべて、神仏の分けみたまであることを、認識し、殺めのない世界にしましょう。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌