御朱印の転売に思う
令和の幕開けにより、全国の社寺に御朱印を求める人が列をなしたそうです。
あれから二週間、それらがネット上で転売されているとのことです。
第1の感情として、「わかってないね」
第2の感情として、「社寺の怠慢」の2つを感じました。
民間の方が、ブームとして御朱印を求める。おそらく「スタンプラリー」感覚なんだと思います。
社寺の方も、社寺離れにブレーキをかけるきっかけとして、また、一筆なにがしがの奉納がありますから、悪くはない話と思いましょう。
縁が繋がること、大切なことであります。
しかし肝心なところが抜け落ちている。それは御朱印、納経とは本来何なのかということです。
これは神様や仏様に参拝した証として、授けていただくものであります。
ところが昨今は「記念品」的な感覚なんでしょう。
「そんな御朱印を転売するなんて!」という人はまだましですが、実際に売る人、買う人が存在しているということが問題であり、でもその根源は社寺側がその意味するところを説いていない、伝えていないことにそもそもの問題がありましょう。
宗教者が宗教屋になってはなりません。きちんと神様、仏様に向き合える人づくりをすることこそ、本来の役割と思います。
社会現象が投じてくれる令和の一石として、良き波紋が広がることを願います。