お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

敬老の日

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毎年この日には統計が出る高齢者数。

昨年よりも22万人増えて3640万人だそうです。

全体比率は29.1%ですから約3割です。

世界一の長寿国が日本です。

長生きは概ね良いことでありますが、やはりいかに健康寿命を伸ばすか、ここに視点を持たねばならないと思います。

元気に暮らす高齢者。これが理想的な形ですね。

そのためには先ずはご自身が努力すること、これが一番です。そして二番目に家族や周りの人の協力となります。

 

人は常に人との関わりの中で生きております。

誰かのお世話にならずに生きることは不可能です。

ですから、ご自身の努力の中に、周りの人に嫌われない自分づくり。これは欠かせません。

運動、趣味、食事などなど健康に留意する手立ては確かにあります。

しかし、それよりももっと大切なこと、それが人との関わりではないでしょうか。

高齢者のかた、またこれから高齢者になる私たちを含め、意識せねばなりませんね。

叔父の命 2

先日、叔父、小川秀市命の軍歴を投稿させて頂いたところ、親愛なる白石浩之同志が、さらに足跡を調べてくださいました。

アジア歴史資料センターというところから紐解いて下さいました。

叔父の最期と思われる足跡が読み取れます。

第91師団工兵隊第一中隊は、昭和20年8月12日、オンネコタン島から占守島柏原へ向けて移動の際、武装漁船9隻沈没。約300名が海没したとの記載であるようです。

この日、別の記載によりますと米国は北千島にて艦砲射撃を行なっているようです。
おそらく叔父の部隊はこの砲撃により海没したのではないかと察しております。

しかしこの度の軍歴から、昭和18年7月のキスカ島からの無血撤退のおり、その中に叔父もいたことがわかりました。

何も知らずに昨今まで過ごして来ましたが、こうして見ると、先の大戦と私自身、やはり繋がっていることがわかります。
おそらく全ての日本人が、私と同じ繋がりを持っていると思います。
改めて小川秀市命の8月12日がわかったこと、とても有り難く思います。

白石さんのご高配に、深い感謝を申し上げます。

白石さん、本当にありがとうございました。

そして叔父と共に昼夜を問わず、私たちを守るため島を護らんとして、みづく屍となられた戦友の皆様、ありがとうございました。

皆さんの志しを無にせぬよう、頑張りますから。

合掌

叔父の命

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靖國に安んじておられる叔父、小川秀市命の76年の今年、以前に靖國神社様から下付頂いた「祭神之記」を改めて拝見致しました。

ふと、叔父の所属部隊の記載が無いこと、死没場所が明確で無いことに目がいきました。

最近は有難いことにインターネットで調べると、「軍歴証明書」なるものが都道府県庁で発行してもらえることがわかりました。

少しでも叔父の顕彰をしたく、早速、北海道保健福祉局地域福祉課へ問い合わせをしました。

叔父と甥。三親等。これが無理なく資料請求できる瀬戸際でした。
必要書類として、私の戸籍謄本、祖父の改製原戸籍などを千歳市から取り寄せ、それを北海道保健福祉局へ送りという手続きを取り、ようやく叔父の軍歴証明書が手に入りました。

叔父は昭和16年3月 工兵第7連隊第3中隊に入営
その後、17年6月、アリュウシャン群島、旧アッツ島上陸作戦に参加、上陸。
同年9月、鳴神島、旧キスカ島へ。
同年11月、大陸令第708号により北海支隊(独歩301大隊)長の隷下を離れ、北海守備隊司令官の隷下となる。
18年4月まで鳴神島鳴神港において飛行場設定作業に従事。
同年7月、北千島幌莚島盤城上陸、同島警備。
19年4月、温禰古丹島派遣工兵小隊要員として上陸。
5月、第91師団工兵隊に転属、第一中隊編入
そしてその後詳細は記載なく、昭和20年8月12日
乗船沈没による戦死。北千島幌莚島樺里崎沖。

大正9年生まれですから満25歳でしょうか。

祖国と家族を守るため故郷を離れ、父や母、弟や妹の幸せだけを願って外地へ赴いた叔父の足跡。
もっと早くにすべきでありましたが、智恵が伴うのに時間がかかりました。

でも少しは喜んで下さるでしょうか。

甥っ子の中にあなたの足跡を顕彰したいと思う者がいたことを。

新しい「祭神の記」、靖國神社祭儀課からの発送日は8月12日でした。
なんと心のこもった手厚い手続きでしょうか。
そんな神職方のお守りくださる御社に、我が叔父は御祭神としてお祀りされております。

大阪から帰って、一番の贈り物をいただきました。

長文お目通し、お付き合い賜りありがとうございました。

忘れてはいけない日

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大東亜戦争終結76年の今日、総本山金剛寺祈願本堂において、各戦役戦没者慰霊法要が、燈主猊下をお導師に厳修されました。

例年は全国ご詠歌大会が開催され、戦没者の御霊に、全国から奉詠者が集い、金剛院こ詠歌を奉じ、団体、個人それぞれ審査員が厳正なる審査をし、詠道の研鑽をはかる一日でありますが、昨年に続き今年も、コロナ禍から、大会は中止され、全国支院主管者総出仕のもと、慰霊法要が営まれました。

法要後、導師をお務めて頂いた桶屋燈主猊下は、各地での災害に言及され、罹災者に対し見舞われました。
そして、この雨も、コロナも私たちに何を問いかけてくださる縁なのか、と言ったお話をされ、まずは先人に対する感謝。

そしてその恩に報いるためには、次の世代に善き国をバトンタッチできるような生き方をこそしなければならない旨、お言葉を述べられました。

正午前にはモニターが設置され、武道館の追悼式にあわせ黙祷を捧げ、天皇陛下の玉辞に心をお寄せさせていただき、行事を結びました。

先の大戦はこの国の古からの文化を変えることになりました。

敗戦後、占領軍により思想統制が施され、日本の魂を骨抜きにするための憲法が押し付けられ、その土俵の上で、多くの国民は神武天皇から連なる精神を剥奪されてしまいました。

いま、私たちは何を思わねばならないのか。

何を大切に考え、行動せねばならないのか。

一人一人が目を閉じて、黙念しなくてはならないのでは無いでしょうか。

九段にお鎮まりの御祭神に顔向けできる私たちでありたいと強く思い、8月15日を遂げます。

生きることの素晴らしさを

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こんな時だからこそ聞いてもらいたい。

 

9月23日、講演会を開催します。

講師は富田安紀子さん。岐阜県大垣市出身。

小学校の時、目の病気を発症、以来手術を繰り返し、現在左眼は失明して義眼。右目も進行性の病のためいつ見えなくなるかわからない。

 

でも彼女は常に前向きに生きる。

現在、NHKラジオのパーソナリティやその他芸能活動も展開して、多くの人に力を与えてくれています。

心の目を見開き、生きることの素晴らしさを語ってくださると思います。

 

その日を楽しみに。

 

御霊にあわせる顔を

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広島は原爆投下から76年の日を迎えました。

生き証人が少なくなる中、戦争のない状態を如何にすれば享受できるのか、おそらく全人類が考え、求めることではないかと思います。

75年は草木も生えぬと言われたそうですが、広島は見事に復興しました。と言いたいところですが、
形での復興はできておりますが、中身が伴っておりません。
お恥ずかしい話です。

8月6日は祥月命日
こう考えますと、相生橋を照準に投下されたのが原爆です。
ほぼそのあたりで亡くなった方々にとっては、まさに祥月命日であります。

その御命日に、その場において全く死者を弔うきらいのない団体が、政治的主張をする場所と化しているのか、平和公園であります。

中核派を中心とする偏った考え方の人たちが、早朝から原爆ドーム前を占拠。
本来公園条例で排除できるはずの広島市も手をこまねく有様。

昨年のこの日、私たちは有志でこの場所に立ちました。腹と背にメッセージを書いた札をかけて。
サイレントアピールです。

この日だけは静かに祈りを捧げる平和公園であるべき。

その後広島市は平和推進基本条例を制定、そして初めての夏を迎えました。
しかし結果は思った通り、彼らは大挙をなして原爆ドーム前を占拠し、集会を展開。
市はそれを看過し、警察は小競り合いを防ぐことから、その集会をまるで護衛するが如く取り巻く。

彼らは満足に集会、演説会を2時間に亘り繰り広げました。

さあこれから先は広島市の責任となります。
松井市長さまには一定の敬意を常に持っておりますが、議会が定めた条例を蔑ろにするような市長であっては困ります。

364日後、明らかに制定された条例が行使される形が整わなければ、頼りない広島市という汚名を着てもらわねばなりません。

そうならないためにも、具体的に行使できる仕組みを一日も早く構築し、令和4年の夏は、静かに祈りを捧げる平和公園を保持して行かねばならないと思っております。

世の中の多くの人に、事実を知ってもらうことで可能となります。
私たちは私たちで努力を致します。
行政は行政、警察は警察で、しっかり逃げずに、目を背けずにご対応を願うところであります。

願いを込めて投稿致します。合掌

感謝の理由

何故、御先祖様には感謝するのか。

 

今、幸せな環境に生まれている自分。この自分が生まれた幸せの環境は、自分が作ったものではない。みんな自分より先に生まれた人が作ってくれた環境。

 

その一番身近な存在が親。

その親が生まれた時も、その親が環境を作ってくれた。その親もその親も。

 

だから、先祖に感謝が不可欠なのです。