国が無くなる危機
出生数最少 86万4000人。
大変な報道がありましたね。いや想定内でしょうか?耳に慣れましたかね。
大変なことです。国が無くなる危機です。
一般の人にはあまり身近な話題に感じないのでしょうか?私は大変な問題だと思います。
「終活のお坊さんがなんで、出生数?」
終活のお坊さんだからこそ、これを問題視するのです。
そもそも私がお伝えしている終活は「人と人とのかかわり」です。
あくまで「人」が無ければ話になりません。
今更講釈するゆとりはないですが、この原因の一つは便利さにあるのかもしれません。皮肉ですね。
人の暮らしが豊かになることを求めて、私たちは日夜努力します。しかしその中で生み出される便利さが、もしかすると「人を頼らない生き方」を創出しているのかもしれません。
決して人を頼らない生き方なんてできる筈ないのですが、生きている刹那に於いて、それができるような錯覚に陥っているのかもしれません。
楽を求めすぎてはいけません。
苦と楽とバランスよく保持することが、人にとって一番良いのだろうと思います。
仕事、結婚、子育て、それらの苦を持とうとしない国民はやがて滅亡してしまうのでしょう。
愛することののち訪れる別れの悲しみ。
悲しみを受けたくないから愛さない。これでは生かされている価値がありません。
私たちは何のためにこの世に生み出されているのか、その本質をもっともっと沢山の人に知らせてあげなければならない、と痛く感じております。
将来のために今を大切にしましょう。
誕生日
大石内蔵助率いる四十七士が、主君の仇を討つため元禄15年討ち入った「忠臣蔵」
本日12月14日はその日であるとともに、拙僧の誕生日でもあります。
53年前、腹掻っ捌いて産んでくれた母に感謝をいたす日であるとともに、今日までお世話になった人とその御縁に感謝をする日であります。
そんな日、大竹の商工会議所の一室をお借りして、主に岩国、和木、大竹の信徒さんが集い、勉強会が開かれました。
現場へ着きますと、「教養講座 小川先生を囲む会」との表示が。ビックリ⁉️でした。
三十数名の方が集まったくださり、私の信仰体験のお話を改めて聴いて下さいました。
お話が終わると、いきなり照明が消され、「ケーキ」の御入場。
サプライズで私の誕生日会を催して下さいました。
メッセージカードとマフラーのプレゼントまでいただき、なんと私は大切にしてもらっているんだろうと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
今日いただいた御恩に報いるためにも、自身の修行と布教に頑張りたいと思ったのでありました。
地区の皆さん、ありがとうございました。
日本再建の約束
第15回旅からすの歌 ご神勅奉答参拝並びに奉告法要が伊勢念法寺を中心におこなわれました。
伊勢念法寺を出発し、一行は外宮へ。
一宮教務総長以下、専従布教師らが御垣内参拝。
次に内宮正宮にて同じく御垣内参拝をすませ、その後猿田彦神社へ参拝。宇治土公宮司様の祭主にて拝礼を致しました。
午後からは念法のへもどり、御本尊様に奉告法要を厳修させていただきました。
そもそもこの行事は昭和25年から26年にかけて、開祖様が伊勢地方巡教のみぎり、旅からすの歌を感得。そして同年三月五日、猿田彦大神様が皇大神宮様の遣いとして夢中に現れ、
「我は天照皇大神の使者なり。天照皇大神は汝の憂国の至情に深く信倚をよせ給い、神勅を下したもう。(以下略)」として、日本の真の再建のため開祖様がご神勅を受けられたことに由来します。
このご神勅後、昭和26年9月4日、開祖様は代表信徒1,000名をともにご神勅奉答参拝を実施されました。
この日は奇しくも、サンフランシスコ講和条約締結の日と重なり、いよいよ日本再建が開祖様に託されたことを物語ったのであります。
現在の岡本町の伊勢念法寺落慶と共に、年に一度奉答参拝を実施しております。
音楽というくすり
とても久しぶりの投稿になりました。
昨日、うちのお寺の熟女達の集まり「すみれ会」の主催で、音楽療法士の久保敬子先生をお招きして、レクが行われました。
終わってから、私も参加したらよかったと、思いましたが、皆さんとてもとても喜んで感想を述べておられました。
先生は平素、高齢者施設や、地域のサークルなどで活躍をしておられるようですが、昔のうたから、脳を活性化させ、健康寿命を延ばす活動をされておいでのご様子で、そのエネルギッシュなお言葉には、何か宗教者の教化にも似た空気がありました。
どうしたら楽しく時を過ごせるのか、そんなことを提供しておられる様に感じました。
機会があればまたお越しいただき、もう少しその輪を広げてもいいかなと感じました。
音楽にはやはり心というか、精神というか、脳というか、そんなものを活性化する働きがありそうです。
少しお寺でも取り入れて行こうかな。