家族で考える終活
広島念法寺創立45年祭に併せて開催された記念講演会、小谷みどり先生をお招きして、約300名の方が聴講されました。
講師の結論は、生きることは迷惑な掛け合い。
だからこそ、頼める関係性を保持しなければならない。
冒頭面白い問いかけをされました。
ポックリ死ぬか、ジワジワ死ぬか、どちらがお好みですか?と。
大方がポックリを選択。
しかし、今日ポックリ死ぬことはどうですか?には
…。
全く本質から逃げようとする日本人の気質を物語っているように感じましたら。
あと、認知症予防にはお寺が一番。
お寺にはお茶もお菓子もあります。
人も集います。だからお寺へ来たらいい。と。
全く簡単なお話に、生き方の掴みがいくつか出されたいました。
今日来られた方が、本当の意味で良き関わりができる人を目指してもらいたいと思いました。
講師の先生、聴講の皆さん、ありがとうございました。
いのり、ねがい。
第五回 全国仏教者による戦没殉難者慰霊法要が、千鳥ヶ淵墓苑ならびに靖國神社で催行されました。
世界連邦日本仏教徒協議会、関西宗教懇話会の共催で、終戦70年の時から始めて、今回5回を数えました。
今年は融通念仏宗様の次第で、総本山大念仏寺 第六十七世法主 吉村暲英猊下のお導師で、融通念仏、天台、真言、臨済、真宗、日蓮、念法眞教の40名の僧侶を含む、110名の参加者で執行させていただきました。
日本の仏教の複数の宗派が、一つの行事をすることも中々ですが、まして靖國での慰霊法要をすることは、もしかすると稀有なことなのかもしれません。
しかし、本日参会された方々は皆、口々に
「国のため、愛する人のために、たった一つしかないこの命を捧げた人を、悼み、感謝することは、思想や宗教の枠を外れて、人として普通のこと」とおっしゃっておられました。
中でも元空将、織田邦男氏はそのことを強く訴えておられました。
命がどんなに尊いものか、その教育がなされれば、いじめも虐待も、殺人もなくなるのではないでしょうか。
奇しくも今日は大嘗祭。
天皇陛下のまさに一世一代の大行事であります。
天地の恵み、命が生かされる源、そのさきわいを神々に感謝し、私たちの真の願いをお届けくださる最も大切な行事です。
今考えましょう、なぜ胸の奥で鼓動が聞こえているかを。
今考えましょう、たった一つの命のことを。
二度と戦争が起こらない社会の実現に向けて。
御皇室の弥栄を
昨日、新帝陛下の御即位を寿ぐ国民祭典が、皇居前広場で開催され、嵐の奉祝歌にも感動を致しました。
今日は祝賀御列の儀が執り行われ、約12万人が沿道を埋め尽くしたそうです。
日本人に生まれてよかった、と多くの人が感じられた機会であったろうと思います。
世界にこれほど国民を思う君主はないでしょう。
常に神に祈りを捧げられる陛下のつとめこそ、神の意思としての天壌無窮の神勅を形に伝えるものであります。
我が日の本は豊葦原瑞穂国でありますこと、夢夢疑わざる所以、この度の御即位にあらわれていると思います。
さあ、最も重要な儀式が近づいております。
大嘗祭こそ、伊勢の式年遷宮にもます、神威の再生でありましょう。
日本の人々よ、今こそ我が足元に感謝を捧げ、謙虚なる心を養いましょう。
ありがとうございます。合掌。
花壇
昨日、今日とお寺の前の花壇の花の植え替えをしてくださいました。
いつもご夫婦で仲良くご奉仕くださる信者さんです。
苗もいきのよいものを置いてるお店を厳選して、その方がお花の費用も出してくださる。
菩薩の行いで、布施の行がありますが、まさに花によって人の心に喜びと豊かさを与える。すごい布施であります。
直接の布施ができずとも、間接の布施もあるのです。
願くばこの善根が利益されますように。
昨日の二大事
昨日の朝、6時すぎの新幹線の車内で
「首里城全焼」のニュースを目にし、慌ててスマホのネットニュースを見ると、本当の話でありました。つい先週、沖縄へ行って、私は別行程でしたが、信徒さんの行程で首里城へ行かれたばかり、全く信じられないことに驚きと、地元の方たちの悲しみを慮りました。
何より沖縄の人たちの、ある面心のよりどころとしての機能を果たしていたのではないかと思います。
全焼の悲しみが1日も早く癒え、前へ向かって進んでもらいたいとおまいます。
そしてもう一つ、広島にいや、政府に激震が。
元広島県議の妻、あんり参議院議員の選挙戦における違反行為から、国民の不安を煽らぬよう辞任。とのこと。
でも、今夏の選挙では広島はややこしい構図でしたから、今回のリークもどこかで誰かが暗躍しての結果かと思っております。
いずれにしても、何かが劣化している感じです。
いろんなことが劣化中。
心、思い方、考え方のものさし自体を変えないとダメかもしれません。
でもそれが成立するには、今どころでは無い大きな痛みを享受せねばなりません。
そうならないうちに目を覚ましましょう、多くの日本人よ。
沖縄戦殉難者慰霊法要を終えて
今年も唯一本土決戦の地、沖縄での慰霊法要を無事に終えさせて頂きました。
沖縄には年間、1000万人近くの観光客が訪れるそうです。各地に立ち並ぶホテルも、それはそれは立派で、リゾートそのものであります。
束の間の心の栄養をもらいに、南国を訪れる方が多いと思いますが、忘れないでいただきたい。
かつてこの島では日本という国を守るため、たった一つしかない命をかけて、戦った多くの若き人たちがいたことを。
沖縄には大小400を越える慰霊塔があります。
住宅地にひっそりと立つ、小さな石塔もあります。
ですが如何なる塔も、亡くなられた方を思い、その証を残すため先人が建ててくれたものであること。
そして、それは何十年経とうとも、日本人の私達はその思いを引き継がねばならない「責任」があるということを。
いま、あなたの傍にいる10代の男の子、女の子。
その年代の子たちが、食べることも、飲むこともままならない環境下、みずく屍、草むす屍となられたことを。
平和を享受する今の私達は、その人たちのことを忘れてはいけないのです。
お世話になった方を見送る
昨日の即位礼正殿の儀の喜びを頭の先から足の先まで感じ、その翌日すでに大阪へと向かっておりました。
24日からの沖縄戦没者慰霊法要執行のための大阪入りであります。
出発を明日に控えて、今夜はお世話になった方の通夜式の執行。
30年ほど前から、細々とした部分をサポートしてくださった方の通夜でありました。
77歳、平均寿命から言えばもう少しあったかも。
ですが、人は寿命でなくなります。
満期除隊であります。
御棺に入られたお顔は、単純に「笑っている」
どうしたらあんな寝顔になるのだろうか?
でもこれが、念法で世のため人のために勤めた姿。
納得しました。
人を亡くす、寂しいことですが、世のならいです。
お互い別れどきに後悔しない1日を通らんといけないですね。
お見送りにいつも学びます。