お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

梅雨入り

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ようやく西日本も梅雨入りしたそうです。

皆さん梅雨は好きですか?

まあ大抵の方は、どちらかといえば「嫌い」と。

でも四季を持つ日本では、梅雨も無ければ困るんですよね。

 

昨年、西日本を襲った豪雨。広島でも100人を超す人が犠牲となられました。

一時ににたくさんの雨が降ると私たちの生活に影響が出ます。

ちょうどいいくらい、で降ってくれたら一番いいですが、こればかりはどれだけ科学万能の社会になったと言えども、人力での調整は出来ません。

与えられる環境で、授かる日暮らしをするより道はありません。

 

こんな昔話を聞いたことがあります。

ある村に、どんな目にあっても、有難い有難いと受け取る爺さんがいました。

ある年、その村に長雨が続いて、とこからはキノコが生えるほどだったそうです。

村の若衆が「いくらなんでも、これだけ長雨が続いたら、あの爺さんでももう根をあげているだろう」と、その爺さんの家へ行って

「爺さん、こんな長雨、困ったもんじゃな」と声をかけてかけました。すると爺さんは

「いやあ、有難い有難い、これだけの長雨のお陰で川が溢れることもなく、田が流れることもない。有難いなぁ」と応えたそうです。

 

大自然の前に我々は微力です。

謙虚な心で過ごしたいものですね。

第1回 お寺de終活大好評!

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第1回お寺de終活、大好評のうちに終わりました。

事前申し込みの方のキャンセルがあったり、反対に飛び込みで参加される方があったり、都合62名のご参加をいただきました。

 

第1部「葬儀を知ろう」

広島で老舗の葬儀社玉屋の児玉社長を講師に、葬儀のイロハをご講演いただきました。

社長の話術に抱腹絶倒!

葬儀のイロハをとても詳しくお話下さいました。

今主流の家族葬の功罪や時代の流れと葬儀の変遷など、パワーポイントを使って盛りだくさんの内容でありました。

そして「劇団玉屋」演じる葬儀社選びのポイントDVDも持参して、本当に楽しく葬儀を学びました。

 

午後第2部「お願いしよう」

身体健全の祈願護摩を修法。初めて護摩をお参りされる方も多く、きっと不思議な体験をされたことと思います。

護摩の後は「往き先の話」と題して、「中有」の世界を抜粋して解説し、だから今日を大切にしましょう。地獄、極楽、選択の道は今日にありますよ。とのお話をさせていただきました。

 

終活の土台、それは今日を後悔少なく生きることです。その基本的なお話をさせていただきました。

 

参加の皆さん、お帰りの時は大変良い笑顔でお帰り下さったかと思います。

第1回、まずまずと言ったところでした。

御協力下さった玉屋の皆さん、またご好意でご協賛下さったにしき堂さま、本当にありがとうございました。

そしてご参加の皆さんが幸せな人生を歩んでもらえますように。合掌

 

明日、第1回お寺de終活

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いよいよ明日は第1回お寺de終活。

直前のキャンさんなど参加予定は60名ほどですが、意義ある1日にしたいと思います。

 

第1部でお願いした玉屋さんの社長、児玉講師のレジュメを受け取りましたが、私の予想以上、わかりやすく盛り沢山に葬儀のイロハを載せてくれてます。

 

明日参加者の皆さんの笑顔が楽しみです。

またご報告いたします。

 

まる4年

平成27年6月6日、行年85歳  父岩雄が逝ってからまる4年になる。

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もう4年も経つのか、が正直なところである。

父は十二指腸癌を患っていたが、誠に痛みによる苦しみはほぼ無かった。仏様のご加護と思う。

 

父が入院している4月、腹水が溜まってきた話があった時、私は実家の千歳市に帰省することにした。千葉在住の姉も、実家にいる兄ともその後の話がしたかったからであった。

帰省の夜、懇意にしている葬儀社の知人に来てもらった。兄は「まだまだ」と言ったが、私の未熟な経験値から腹水は、そう遠くないタイミングを予見させてくれたからである。

 

気配りの必要なこと、お寺様への御礼のこと、決めておかなくてはならないことなど、アドバイスをしてもらった。

その中で三人の兄弟が全くピッタリ意見が合致したのが「遺影」であった。

 

父は無頼の釣り好き。それは父を知る人なら誰でも知っていると言っていいほど。

数年前、父は出版社主催の釣りイベントに参加し、釣り上げた魚とドヤ顔の父が、地元釣り雑誌の表紙を飾っていたのである。

「あれしかない」兄も姉も口を揃えた。

 

翌日、出版社に電話をしてCDにしてもらい、後日郵送してもらったのである。

 

葬送儀礼に訪れた父を知る人は皆、その遺影に納得をしておられた。

残った我々家族も納得であった。

 

私は終活に最も大切なことは、人と人との関わりであることをお伝えしている。そして終活は一人でするものではなく、家族や身近な人とすることが大切である旨伝えている。

今振り返っても、父の葬送に一点の曇りもない。

いや、父も全くそう感じている。

親子だからわかる。

 

まる4年、父の面影を思い出してその日を過ごしたいと思う。

死と尊厳と権利

NHKテレビで、彼女は安楽死を選んだというドキュメンタリーが放映されていた。

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人の生と死、私の考え方としてはこの生と死は、同じ重さであろうと考えている。

番組ではスイスでの安楽死を迎える施設で、一人の女性が投薬を受け、二人の姉に見守られながら死を迎えた。

 

日本では安楽死は認められていない。

 

人の死には死を迎える本人と、その人を送る人々という構図がある。

病などによる苦痛、治癒の見込みのない病状、それらが目の前に現れた時、本人は安楽死を望むことがあるのかも知れない。

周囲もその苦痛をとどめてやりたい、その方法としてその道を選ぶことがあるのかも知れない。

 

本人の尊厳と本人の権利。これらが安楽死を認知するキーワードである。

 

生命の誕生。これは人為的にできることではない。

もしかすると、不妊治療など医学が進んでいるから、人為的に生命を誕生させることができる、と思う方もおられるかも知れないが、違う。

 

精子卵子が結合し、そこから肉体形成の細胞分裂が繰り返される。これは人為的にできることではない。

命の存在に対して、人類は果たして采配を下しても良いものなのでしょうか。

個人の尊厳と権利が叫ばれる世の中ではあるが、命の起こりと命の終い、これについては私たちのような「生きている」者が采配すること自体、自然に対して甚だ越権行為と言わざるを得ないのではないか。

苦をいかに受け止めて行くべきか、きっと答えを出すことは誰にもできないのでしょう。

でも私は思います、きっと自分の意思で采配すべきことではないのではないか、と。

プロフェッショナル おくりびと

昨今、葬送儀礼の簡略化が進み、それによる悪影響を危惧する者の一人でありますが、昨夜NHKテレビのプロフェッショナルでは、ある一人の納棺師の仕事をドキュメントしていました。

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彼は木村さんという30歳の若者でした。若者とはいうものの、命のあり方については宗教者であろうかと思います。

人の生と死。世の中の営みの始めた終わり。そして死があるから、生を見つめられることを彼は知っており、またそれを伝えようとしていました。

 

家族の関係性が希薄になる中、葬送の機会は私たちの心を育てる絶好の機会であると私は考えます。

続いてきた命の終わりにしっかり向き合うことで、感謝が生まれ、前向きな誓いが起きるのです。

機会があれば彼に一度会ってみたいと思います。

 

またNHKも良い意味で一線を越えた気がします。

何人かのご遺体をそのまま映しておりました。

過去、そういった場面ではボカシを入れたりすることが専らでありましたが、綺麗な姿でのご遺体はそのまま、その通りで良いと思います。

 

人は必ず死ぬのです。

一生懸命生きてきたその人の人生最後の儀礼が葬送です。どうか葬送の時間を惜しまずに、送って差し上げてもらいたいと思います。

機会があればプロフェッショナル、どうぞご覧ください。

サイパンでの慰霊、恙なく。

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今年もサイパンでの慰霊法要を無事終えて、帰国させていただきました。

サイパンはチャイナ、コリアの人だらけでした。

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日本からのダイレクトフライトが無い現在、日本人客が少ないのは至極当然のことであります。

しかし、サイパンは絶対に日本人が忘れてはいけない場所であります。

 

北マリアナ諸島テニアン島があり、そこからB29爆撃機が日本へ向かったのです。

サイパンテニアンさえ落ちなければ、広島、長崎の悲劇は起きなかったかも知れません。それ程に日本人が忘れてはならない場所なのであります。

 

ですが今の日本人にサイパンといっても、過去における南の楽園という感覚しかないのでは無いでしょうか?しかし、本当のサイパン先の大戦において激戦が繰り広げられた場所であり、沖縄同様、深く記憶に留めねばならない場所なのであります。

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私たちは継続します、この慰霊法要を。

しかし本当はすべての日本人が、南の島に消えた命に対して、深甚なる敬意を表する必要があるのであります。

 

明日の自分、明日の世の中がわからないからこそ、伝えるべき事はすぐに伝えなければならないのであります。

サイパンの歴史を調べてください。

日本人である事をほこりに思います。

 

1つしかない命です。ためになる使い方をしてほしいと思います。