お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

祟り⑤

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祟りシリーズの第5番目となりました。

ほとんどの方が超自然的存在肯定派なのがわかりました。しかし現代は「多様化」という言葉のもと、いわゆる何でもありの考え方が横行しております。

何でもありとは「根無し草」と一緒です。

起点、出発点さえもわからない、そんな状況だと思います。

 

ところで、あなたの誕生日はいつですか?ときかれたら、余程なことがない限り答えられますよね。人には生まれた日があるのです。

あまりにも当たり前すぎて、叱られそうですが。

ということは人にはそれぞれ、人生の起点、出発点があるということです。だから人は根無し草ではない、根無し草であってはならないと私は思います。

 

みなさんには必ず二親があります。

父と母です。

いろんな事情で「いない」人はあるでしょう。でも精子卵子の結合による細胞が発生しない限り、生物は存在しないのです。だから必ず二親があるのです。

 

親がなければ自分はない。

いくら金を積んでも、この絶対の理は消えないのです。

今日はこのくらいにしておきます。

祟り④

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超自然的存在肯定派のみなさん、こんにちは😃シリーズ4回目です。

超自然的存在によって祟りが起こるわけですが、私たちの生活でどんな場面で超自然的存在との関わりを持っているのでしょうか。

 

皆さん、新たに建築工事をされる際、「地鎮祭」って言う儀式をするのを見たことありませんか?

一般には神式が多いかと思いますが、注連縄で結界を張って、祭壇に神籬(ひもろぎ)という神様の出張所的なものを立て、海山の珍味を供え、お祓いをします。あれ何ですかね?

 

世界に名を馳せるような大企業でも、地鎮祭は執行されるようです。

地鎮祭はこれからこの場所に建物を普請します。そこで生活や事業を致します。しばらくの間、お貸しください。との借用儀式ですね。

皆さんだって、自分の陣地に誰かが勝手に入って何かしてたら、怒りませんか💢それと一緒ですね。

 

やはり人々の大半は超自然的存在肯定派、ということになりますね。

 

また、次回へ。

祟り③

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シリーズ3回目です。前回、超自然的存在とはという話でしたね。みなさんにとって超自然的存在なるものは存在しますか?

 

無いようなあるようなですかね。でもすっかりみなさんは存在あり、の行為をしてきておられませんか?

今年、初詣に行った人、あなたは超自然的存在ありの人です。

初詣に行って何しましたか?

お願いしたでしょ。誰に?神様に、仏様に。

会ったことあるの?無いでしょ。

でも頼んできたじゃ無いですか。

頼んでない人は別ですよ、でも頼んじゃった人、その人は超自然的存在肯定派です。

 

でも祟りは超自然的存在によって起こされるようですね。だとするとやはり祟りはある、ということになりそうですね。

この続きはまた。

恵方巻が阿呆巻に

祟りのシリーズに入れても良かったのですが、別枠にしました。

16億円廃棄だそうです。

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日本人の豊かさの麻痺が原因か、はたまた資本主義社会の副作用なのか。まったくもって理に叶わない。

数年前にどこかのすしチェーンが発信したような記憶がありますが、そうじゃないかもしれませんが、何れにしてもその根拠不明です。

方位、厄祓い。神様か気学に由来するならわかりますが、そうでもない。

 

お祭り好きの日本人ですから、それも文化ですが、災難を除けるとか、吉祥が来ることとは程遠い結果になっております。

 

皆さんはこんなこと言われませんでしたか?

「米を無駄にしたら目がつぶれる」って。

これもまた根拠のないことなのかも知れません。しかし、農耕民族の日本人は、常に自然との向き合いの中で、生きるという営みを継続してきているのです。だから稲が実ることは自分達の生が継続することであり、その意味において米のもつ「力」を知っていたのです。

 

米を廃棄して除災招福、???です。

 

もっと知恵を働かせて資本主義社会を成立させて欲しいです。

まったくもって「阿呆巻」です。

祟り②

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祟り、あまり耳障りのよい語彙ではないですね。

ところで皆さんは、祟りあると思いますか、無いと思いますか?それともあると、思いたくないですか。

 

祟りとは神仏や霊魂など超自然的存在が人間などに災いを与えること。とあります。

相手が人間じゃないということですね。かといって動物でもない。超自然的存在です。

超自然的存在ですから、我々はお目にかかったことがないと思います。

ですから、あると思いますかの質問に対してもあやふやな回答しかできないのだと思います。

 

ではもう少しバックして、超自然的存在はありますか?としたら何と答えますか?

少し考えておいてください。また折を見て継続します。

 

祟り

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仕事がらと言えばそれまでですが、最近特に「葬儀」が心配なんです。

時代の流れと言えば、これまたそれまでなんですが、何事もコンビニ化していると言いましょうか、簡素化、自由化、終いにはやめとく化的な感じになっているように感じます。

 

資本主義社会の中で日本は一時、経済大国第二位にまでなりました。

現在もその恩恵により、私達の生活は物質的にはとても豊かであり、とても便利になっており、先人たちの苦労の賜物と深く感謝致したく思います。

しかしその一方で、先人たちの苦労の賜物という感覚だけは、どこかへ忘れてきた、いやわざと置いてきたのではないかとさえ、思えるのであります。

 

家族葬、直送、果ては0葬。

お骨も送骨、散骨。現代用語の基礎知識に事欠かない新語のオンパレード。

 

皆さん「祟り」って聞いたことありますよね。

最近の人は「祟り」なんてないと思っているんでしょうね、可哀想に。教えてない親のせいですね。

祟りはありますからね。

次回、少し掘り下げたく思います。

乞うご期待!