お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

送り盆

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いっときの暑さからみると、かなりすごしやすくなりましたね。

今日は五山の送り火の日。

ご先祖様をお送りする日であります。

地域や宗派によっても違いますが、お盆にご先祖様をお迎えし、またお送りするという考え方は日本全国に潜在的にあるようです。

 

皆さんはどうやってお迎えされましたか?

また、いかにしておもてなしされましたか?

また、お土産は持たせて差し上げましたか?

 

一年に一度しか来られないお客様、それも自分自身のルーツの方々、ちょっと考えないといけないんではないでしょうか?

 

「でも、お供え物をしても実際には減らないし、味も変わらない」

そうですよね。千疋屋のメロンをお供えしても、減りませんからね。

じゃあどうやっておもてなししますか?

 

話は少しそれますが、皆さんのお宅にはお仏壇はありますか?

ある方はそこにお花やお供え物、お茶やお仏飯をお供えしませんか?されますよね。

 

ということはお盆だけじゃないということ。

「地獄の釜の蓋があく」と言いますが、一方で日々にご先祖様を感じながら生活しているのが私達なのです。

 

お盆もそうでない時も、ご先祖様へのお接待、一体何が喜ばれますかね?

 

さあ、今日は解答せずにおきましょう。

この答えを知りたい方は、9月に2回開催される私の終活講演会に御来場下さい。詳しくは近日発表いたします。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

信仰と祈り

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長崎原爆の日、6日に続き11:02にはそれぞれ許す環境下、想いを馳せたでありましょう。

私はようやく初盆のお参りに出かけさせていただきました。

今日は安佐北区から安芸高田市へと車を走らせました。

 

県北は山に囲まれた地形が多く、車窓からの山肌に何本もの地滑りの跡が見られました。

「あの麓には民家や集落はあったのだろうか」

そんな思いしか出てこない。

 

西日本豪雨から一ヶ月が経つが、まだまだ時間が動いていないところがたくさんあるようです。

 

ふと、祈りについて考えていました。

「どうか安否不明者の方が早く見つかってもらえますように」

「罹災された方が一日も早く、元の生活を取り戻してくれますように」

「二次災害など起こらないように」

こんな心境はこの度の災害に、少しでも関わりのある人には、自然と湧き上がってくる感情ではないでしょうか。

これらは「祈り」と言えるのではないでしょうか。

またこの「祈り」の状態は目に見えざるものに対して、想いや言葉を投げかけている状態です。即ち、私達自身が信仰者であるという事実を示してくれるのであります。

 

いろんな方とのお出会いがあります。

その際、謙遜かもしれないですが、「何も信仰を持っていませんから、何もわからず」といった言葉を聴く機会があります。

この方たちは災害にあって、悲しみや苦しみを感じている方に対して、何も思わないのでしょうか?

そんなことはないでしょう、身近な方があればなおのこと、その思いは強くなるのではないでしょうか?

ならば特定の存在であるないはありますが、何かの存在にお願いしていることに他なりません。だとするとその「祈り」は「信仰」そのものです。

 

目に見えない存在に心を向けるこれが「信仰」のはじめの一歩です。だとするとほぼ全ての人が信仰のはじめの一歩を踏んでおられることになります。

罹災は大きな悲しみ、痛み、苦しみを伴います。しかしここで転ぶだけではいけない、起き上がりの一つとして、「祈り」を持つ自分は「信仰」を持っているのだ、ということを自覚をするきっかけとすべきでもあります。

 

全ての人が陛下にならって、祈らねばならないと思うのであります。

 

世の中に天災地変が起こりませんように。

 

悲しみが少しでも少なくなりますように。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

広島原爆の日

昨日広島は73回目の原爆の日を迎え、平和公園では広島市主催の平和記念式典が、安倍総理や各国の要人臨席のもと行われました。

 

例年だと6:15からの広島県宗教的連盟が主催する慰霊祭に出席するのですが、この度は機動隊の方の送り出しのため欠礼しました。

ですが、メルパルクで行われます、宗教者が集う昼食会には出席させていただきました。

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神道、仏教、キリスト教、その他の宗教者が親交を深めるため、毎年行われています。

バチカンからジョセフ・チェノットゥ大司教様、また長崎から高見三明大司教様、比叡山延暦寺や、京都の清水寺などから諸大徳が、神社本庁や、教派神道の先生も来広くださって、平和促進のため、宗教者がせねばならないことを再認識いたしました。

 

そして昨年からもう一つ、この日に大切な方がお寺へ来てくださるようになり、お客様の昼食が終わる頃、お寺へ戻りました。

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その大切なお客様とは、東トルキスタンのアフメットジャンオスマン亡命政府大統領であります。

彼はウイグル民族を根絶やしにする中国の脅威に立ち向かっている方です。

 

今年で第10回を数えた8・6広島平和ミーティングにおいて、私達日本人のために中国の脅威を伝えに来て下さっておられます。

 

一般には新疆ウイグル自治区と呼ばれていると思いますが、中国は彼らを、彼女らを人として扱っていません。もしかすると動物以下であります。その事実を我々に伝え、警鐘を鳴らしてくださろうとされる方なのです。

その大統領と1時間ほど対談させていただき親交を深めさせていただきました。

 

夜は青山繁晴参議院議員の講演会に参加。

熱帯夜の続く広島の夜は、憲法改正でより熱くなったことと思います。

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講演会の後、主催者にお断りの上、今月28日午後2時からの仏教文化講演会のチラシ配りをさせていただき、1日を終えました。

 

天から与えられた時間のスピードは万人平等です。しかし、使い方によってそのボリュームは変化するのかも知れません。

 

「忙しい」と言いますが、意外と使い方に問題があるのかも知れませんね。

お互い保証のない明日に、過大な期待を寄せずに生きてまいりたいものですね。

ご覧下さりありがとうございました。合掌

酷暑

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毎日毎日、極端な暑さが続き、この世のいけとし生けるもの皆、体力を消耗しているのではないかと思います。

そんな中、被災地では懸命な捜索活動が行われています。

まさに酷暑。罹災され避難所生活を余儀なくされておいでの方はもちろんですが、ボランティアの方、救援隊の方々、本当に頭の下がる思いであります。

 

明日、豪雨から丁度一ヶ月の日、広島原爆忌日。

今とは違う暑さが、73年前無辜の市民の命を奪った日であります。

 

ただ願わくば、いけとし生けるもの皆、平穏を享受出来る世が継続されますように。

 

明日は広島へ思いを寄せて下さい。合掌

 

三代燈主本葬儀・告別式

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去る6月17日お浄土へ還帰された三代ご燈主様の本葬儀が25日に、そして告別式が26日に大阪総本山小倉山金剛寺で、厳かに行われました。

 

連日の猛暑の中、内閣総理大臣安倍晋三様の御代理として参議院議員 衛藤晟一氏、全日本仏教会会長の御代理として副会長の田中昭徳浅草寺貫主比叡山から森川宏映天台座主、全国神社を包括する神社本庁から田中恒清総長をはじめ、各界から400名のご来会をいただき、両日併せて5000名の御参列がありました。

 

ご来会予定のお客様の控室、会場席次、焼香順位、粗供養の準備など、事務局の一員として7月はほぼ大阪に詰めておりました。

 

畳千枚が並ぶ千畳敷の法堂、その内陣には花壇を思わせるような祭壇の中央に、そのご尊影が掲げられ、慈愛溢れる笑顔に多くの参列者は在りし日のかかわりをかみしめていたことと思います。

一昨日の本葬儀が終わり、その辺りから急に寂しさが実感として湧き上がってきました。

準備でゆとりが無かった、これが真実だったろうと思います。

 

昨日、全国から2500名の信徒さんが来られました。装束をととのえ、玄関から入られるお一人お一人に頭を下げ、ありがとうございますとお声をかけながら、この一人一人の方々の思い、何か勿体なく、ありがたく、胸熱く自然と目頭が熱くなりました。

またその参列者を迎えるため、大阪教区のご奉仕者の方は堂内はもちろん、炎天下、車両誘導案内のお手伝いをして下さいました。

 

5000名の御参列、告別式では40台ものバスが境内に整然と並べられ、乗用車も200台あまり、そんな中、事故も、怪我も、病人も無い、全くもって奇跡のような二日間を通らせていただきました。

 

葬儀には公益社の優秀なスタッフが我々をサポートしてくださり、またバス運行にはこれまた高いノウハウを持ち併せたJTBスタッフが万全を期し、そして何よりも三代様への「御恩がえし」のこころ一つで奉仕下さった信徒の方々、それぞれの立場の方が一生懸命勤めて下さったおかげで、恙無く行事を終えることが出来ました。

 

取り上げるべきがもう一つ。

サイパン島がある、北マリアナ連邦政府観光局から、三代様は観光親善大使としての立場を受けておられましたが、そのサイパン島からも連邦政府ビクターホコグ知事代行、デビッドアパタンサイパン市長、クリスりコンセプション観光局長、ペリーテノリオ前観光局長らから弔意を表すレターが届いておりました。

 

多くの人に慕われ、惜しまれた三代様の本葬儀、告別式は、まさにお浄土からの「慈愛」の中、静かに終えさせていただくことができました。

 

孝行したい時に親は無し。

 

今日を、今を、愛を土台に身近な人とかかわりを持ち、少しでも後悔しない生き方を通りたいものです。

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

母なる自然がなぜ?

今月5日から降り続いた雨により、西日本は大きな豪雨災害に見舞われました。

4年前安佐南、安佐北区を中心に七十余名の犠牲者が出た広島豪雨災害、その悲しみからやっと脱け出ようとしていたこのタイミング、本当にどうして?という気持ちになるのは、私だけでは無いと思います。

 

今回は広島だけでなく岡山、愛媛など広範囲にわたる災害となりました。連日のテレビに映る光景はどれも目を覆いたくなるもので、当事者でない者でも罹災者の置かれた環境を思うと、心が引き裂かれるような感じがします。

本当に言葉の掛けようもない感じです。

 

昨日現在、広島県では99名の方が亡くなられています。行方不明の方は19名、もしかしたらもう100名を超えているかもしれない。

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自然災害の時、多くの人は

「いったい何を悪い事をしたと言うのか!」との心境になられるのではないでしょうか。

真面目に働いて、窃盗や脅迫行為も勿論していない。そりゃ、人と喧嘩したりはした、でも相手の命を奪うようなこともしていない、なのに。」こんな風に。

私も宗教という世界にいる者の一人として、いかに受けるべきかを真剣に考える。

解答に正不正は無い。でも敢えて持論を展開することにするならば、

大自然の上に乗せてもらって、生かさせて頂いているのが我々です。しかしいつしか、最大の恩恵を享受することが当たり前で、畏敬、感謝、慎ましやかさ、といった感性が徐々に薄くなってしまったのではないかと思います。

大自然は母です。

その母が、我が子である私達を苦しませたいはずがありません。なのに何故?

それはきっと、大自然という形の器の中にある我々が、その器の中の形にフィットしないものになってきているからではないかと思うのです。

金魚鉢に入れる水は、その鉢の形にフィットします。

しかし、硬い固形物を入れたなら、大なり小なり、隙間や歪みが生じます。その隙間や歪み、これが天災地変なのではないでしょうか?

 

伊勢御遷宮の用材を山から切り出す時、神職の方は祝詞を奏上され、作業を進めてもらいます。しかし、この切り株に木の穂先の部分を戻し、「中ほどだけを使わせて頂きます」というやり方をされるそうです。

まさにこれが、大自然と一体に生きる偉大な先人の知恵なのだと思います。

 

今はどうでしょう、野菜ができすぎた、価格が暴落するから潰してしまおう。

野菜はこの大地が無ければできはしません。

太陽の光が無ければ、空から降る雨水が無ければ出来ないのです。

大自然の営みを利用して、我々は生命の維持活動を継続させて頂いております。

万物の霊長として、そのお許しを与えて頂いています。しかし理法と合致しない生き方をしたとすれば、怒りとかバチとかではなく、理にかなわないという理由から、天災地変が起きてしまうのではないかと思うのです。

こんな事を書いても、被災者の環境が良くなることはありません。でも、もしも私の持論が強ち間違いでない、と思って下さる方だけでも

日々の暮らしに、自然と仲良く風や光を楽しみながら享受できる生き方をしてほしいと思います。

とにかく一日も早く行方不明の方が見つかり、罹災関係者の生活が普段に近づく事を祈ります。

この地球上に悲しみが少なくなりますやうに。

駅員さん

中国地方四国地方、またその他の地域を大雨が襲いました。

私も昨日から長崎へJRで出張の予定でしたが、今回はキャンセルとなりました。

当初、昨日の昼から新幹線で博多へ出て、その後長崎本線の特急かもめで、夕方までに長崎入りの予定でした。

ところが御承知の通りの大雨、山陽新幹線不通の報せを受け、先ずは翌日の朝の切符に切り替えました。みどりの窓口はご想像通り長蛇の列、約50分並んで切り替えをしたのでした。

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一夜明けると、状況が好転することもなく、15:00までには開通の目処、との案内が出ておりました。

仕方なく、一旦寺へ戻り、14時過ぎに再び駅へ。駅は朝にも増して多くの人が開通の時を待っていました。

行ってみるとなんとランクダウン!

開通の目処が立っていない。

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それに重ねて、JR九州長崎本線特急列車は終日運休。もはやなす術無しとなり、出張はキャンセルとなりました。

 

この中で素人である私は、当然玄人である駅員さんに質問をするわけですが、その駅員さんの対応には感心を致しました。

 

雨は駅員さんやJRの責任ではありません。あくまで自然界の出来事。にも関わらず、「大変ご迷惑をおかけしております。」この言葉からスタートされるのです。とても丁寧に対応して下さいました。

改札口にはザッと300〜400人くらいはおられたと思います。その一人一人に対応しなくてはならない、大変な業務をこなしておられたと思います。

仕事だから、と一刀両断する方法もあります。ですが私はここに日本人の優しさを垣間見た気がしました。

 

「困ってらっしゃるんだろうな」ここから始まるコミュニケーションなんだろうと思います。

有事の時こそ冷静に、どなたとも向きあえる自分を平素から訓練せねばならないと学ばせていただきました。

終わりに地元をはじめ、罹災された方々に対しお見舞いを申し上げ、一日も早い復興をお祈り致します。合掌