最期の場所
内閣府が発表した、平成28年の高齢社会白書によると、65歳以上の方の認知症患者数は、平成24年では462万人と7人に1人が認知症患者であったのに対し、平成37年には700万人、5人に1人が認知症患者となる推計を出している。
少子化、高齢化の加速度的進捗、結婚しない若者の増加、離婚率は依然高いまま、また、出生率の低さなど、個人主義の副産物は減ることをやめない。
いわゆる「おひとりさま」社会がどんどん構築されております。
一方、同じ白書の中で、最期を迎えたい場所の調査結果があり、それを見ると、
兄弟姉妹など親族の家 0.4%
子供の家 0.7%
高齢者向けケア付き住宅 4.1%
特養など福祉施設 4.5%
わからない 6.9%
病院などの医療施設 27.7%
そして堂々第1位が
自宅 54.6%
という結果が出ていました。
多くの人が晩年、自分の最期の場所に自宅を希望しています。しかしその反面、自宅で亡くなるための条件は何か。
在宅で過ごせる環境がある、つまり介護、介助してくれる人がいること。家族があること。
また人為的にはどうしようもないですが、在宅で過ごせる程度の罹病、衰弱の形などが必要になります。
どうでしょう、ここにギャップがあることにお気づきと思います。
自分が在宅で亡くなりたいのなら、自分を看取ってくれる人が必要、ということです。先ずはその条件のクリアが必要です。
「家族」です。
お恥ずかしい話ですが、若い頃私は「自分は結婚しない」と決めていました。それに対し母親は冗談を交えて「運賃着払いで送ってあげる」と、結婚の必要性を訴えた。
結果的に自分自身で現在の配偶者を見つけることができ、また幸いに二人の子供を授かることができ、「私ほどの幸せ者はいない」という日々を送らせていただいているわけですが、これがもし、結婚をしていなかったとしたら、お金や物で解決のできない不安を抱きながら暮らしていたのかもしれません。
終活を伝えていて思うことは、やはり「家族」というものすごい大きな価値であります。
家族は自然と一緒だと思います。
まわりを明るくする太陽。
疲れを癒してくれる夜。
稲を育ててくれる夏の暑さ。
生活を困窮させる台風や大雨。
予期できない地震。
あるようでないような空気。
あげればキリがありませんが、そこには喜び、悲しみ、楽しさ、辛さなどが混在しています。
でも、私達には「最期」という時が必ずやってまいります。
どのタイミングに一番の価値を求めますか?
あなたの本当の幸せとは一体何ですか?
まだ間に合いそうですから、少しくらい立ち止まっても大丈夫ですから、一度考えてみてください。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
高校野球
第99回の夏の高校野球が、埼玉の花咲徳栄高校の優勝で幕を閉じました。
準優勝は広島の広陵高校。10年前にも準優勝し、この度も惜しくも優勝旗を持ち帰ることはできませんでした。
しかし、広陵高校だけでない彼らの健闘は、どの人にも感動を与えて止まない活躍であったと思います。
全国約4000近い高校の頂点を目指す彼ら、我々は毎年の甲子園での姿しか見ません、でも彼らが甲子園の土を踏むためには、昨年の閉会式の翌日からの毎日毎日の鍛錬があったに違いないと思います。
全ての高校球児がみな、鍛錬してきたと思います。しかし、甲乙、勝ち負けはついてまわるのが世の中の常であります。
私達は自分の人生において、彼らのように日々の鍛錬をしているでしょうか。
野球では、投手が投げ打者が打つ。守備が守って試合が展開されます。
投げ方、受け方、打ち方、走り方などの訓練が繰り返される。この繰り返しの毎日だと思います。ですが、本番では必ずそこに相手があります。如何に練習が一人でできたとしても、試合では常に相手があるのであります。
私達の毎日は試合と訓練の繰り返しかと思います。
勝負は時の運とも言います。時の風を読みつつ舵取りをしなくてはなりません。
勝つ時もあれば、負ける時もあります。
でも、毎日毎日、今日一日、今日一日をおろそかにしていては、勝ちの風に当たることはないと言えましょう。
私達のゲームセットは何回か不明。
明日、ゲームセットになるかもしれません。また自分以外の身近な人が、ゲームセットになるかもしれません。その時慌てても間に合いません。
どうか後悔しない人生をお通りください。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
鳩が…
大阪の本山の池で給餌の際、岩場の淵に数羽の鳩が群がっていました。
何をするのかとみておりますと、水面近くの岩場に降りて、なんと鯉の餌をピンはねしているではありませんか。
鯉の餌が味見したことがないので、どんな味かはわかりませんが、朝から30度をこえる大阪の朝、若干の水分を含んだ鯉の餌は、鳩にとっても、恰好の栄養食なのかも知れません。
それにしても、偉いですね。雑食の鳥類なのかもしれませんが、きっとその餌を食べる、第1羽目がいたはずです。そこから鳩語で「これ、美味しいよ」が会話されたか否かわかりませんが、鳩の社会に周知されていったのだと思います。
私達も初めはそうですよね。
ナマコ、キノコ、タコ、ウニ、みんなが美味しがって食べるもの、全てが初めてがあったわけです。
その中で、毒キノコを食べた人がいて、それが毒キノコとわかり、その経験を踏まえて、可食不可食かの仕分けがされてきているのです。
そうすると、食べ物一つとっても、我々の父祖が勇気を出して、チャレンジしてくれた恩恵が、すでにあることになります。
久しぶりにo157による罹患のニュースを耳にしました。罹患の方の早期快癒をお祈りいたします。
食の安全をこれほどまでに重要視する日本で、そういったことが起きることに、やはり我々は謙虚に、父祖の功績に深く感謝して、有り難く生き物の犠牲を享受する思いを、もっともっと持たなくてはならないのではないかと思います。
人はもしかすると、鳩以上にピンはねして生活しているのかもしれません。
お互い謙虚でありたいものですね。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
終活講座 和木会場
本日、山口県の和木町民文化会館で、午前第2講、午後第6講を開催し、午前は11名、午後は25名の方が受講くださいました。
中でも第6講は最終講であり、第1講から第5講までの履修が無ければ受講出来ないことになっており、毎回2時間、都合12時間は私と一緒勉強して下さった方ばかり、ということになります。
昨年9月から和木会場を皮切りに始まった、「お坊さんが語る終活講座」広島市内数カ所、福山市、三次市、熊野町などで開催、今日ワンクール終える第6講で、修了証書をお渡しできましたことは、講師の私としても、大きな喜びでありました。
受講して下さった皆さんは、後悔のない人生を歩んで行くことが大切であること、そのためには自分が意識を持たねばならないことを、よく理解して下さっておられました。
講座としては一段落したのですが、感想に、
「講師の先生と今後も関わりをもっていたい」とか、「もっと講師の先生のお話を聞いて行きたい」などと仰ってくださる方もおられ、とてもありがたい気持ちになりました。
私の講座では、「人と人とのかかわり」これを主たるテーマにしています。
私が講師としての勤めができたのは、サポートスタッフの皆さんの支援と、何より受講してくださる方がおられたからに他なりません。
その意味において、私の話にお付き合い下さった皆さんには、ただ感謝しかないのであります。その感謝の想いを込めて、お一人お一人に修了証書をお手渡しさせていただいたのでありました。
会の終了前にお一人のスタッフの方から、「年内に一度、この地域で講演会を開催してみては」との意見が出され、全員の方が拍手をもってご賛同下さったのです。日程がまだ全くわからない話ですが、新たな取り組みとして可能な限り終活の考え方の大切さをお伝えして行こうと思いました。
今日、甲子園では広島代表の広陵高校の試合があり、結果6:4で、福島の聖光学院を破り、ベスト8進出となりましたが、まさしく午後の講座の時間と被り、気になる受講生の方もあったかもしれませんが、本当に真剣に受講して下さったことに、お礼を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
明日は寺の住職として、月例の行事が勤めさせていただきます。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
お詫び
先ずはお詫びをさせていただきます。
前回10日に更新して以来、まるまる一週間更新ができませんでした。終活ブログファンの皆様には大変申し訳なく思っております。
やはりお盆ということと、終戦の日の関係する行事がかさみ、ちょっとゆとりが無かったのが本当のところです。
また少しずつですが、更新をして行きたく思いますので、引き続き御愛顧ください。
ところで皆さんは、どんなお盆を過ごされましたか?ご先祖様に心を通わせられましたか?
お盆だけではなく、平素からご先祖様に感謝して生活することをお勧めいたします。
ご先祖様に感謝する生活とは即ち、いま目の前にいる身近な人に感謝する生活です。
もしかしたら、あなたとあなたの目の前の人の、遥かずっと前のご先祖様は同じ方かも知れません。そうすると、そのご先祖様に感謝するならば、その子孫の方を幸せにしてあげることが、ご先祖様にとって何よりもの幸せではないですか?
亡くなられた方を大切にしたいなら、先ずは目の前にひとを幸せにする、これが一番大事なことと思います。
来月にはお彼岸もあります。どうかご先祖様に感謝出来る毎日を過ごして下さい。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
どこで焼く?
私達はいつか死にます。
いつもお伝えすることですから、読者の方には耳にタコができる話でしょうか。
でも死んだら、この身体はどうします?
つまり「遺体」の処理です。
昔は土葬、つまりそのまま土に埋めていましたが、現代は衛生上の観点からも、火葬が一般的となっています。
では、どこで燃やしますか?
今は少しのゴミを燃やすことも、規制がかかる時代です。そんな中、こんな大きなもの、どこで燃やしますか?
聞くに及ばず、「火葬場」ですね。
ある自治体が斎場建設計画を進める中、近隣住民が建設反対を主張しているとの記事を目にしました。反対理由は、精神的苦痛、地価の下落、過疎の進行、住民無視の計画などとのことです。
どんな方が反対をしておいでかわかりませんが、今後その自治体の計画が進捗して、斎場が定礎されたとしても、頑なに遺言として「私の亡骸は〇〇の斎場では、荼毘に付さないでくれ」と、書き遺さねばならないでしょうね。
一般的に自治体以外の斎場での火葬は、割り高となっています。納税者であることの自治体のサービスの一つが火葬場です。
反対している人は、ぜひ自分のポリシーとして、立派な意思を貫くよう、くれぐれもご家族にお伝えする必要がありますね。
皆さんは、今頃東京などでは5〜10日程度の「火葬待ち」は、当たり前になっていることを知っておいでですか?
超高齢社会の次には「多死社会」が紛れもなく訪れます。
私が子供の頃、実家のトイレは汲み取り式でした。確かに綺麗な仕事とは言えないかもしれません、しかし、なくてはならない仕事ではないですか?
もし汲み取り業者のかたがおいででなかったら、日本はこれだけの成長をどげることはできなかったと思います。
斎場が無いとはそういうことと同義なのです。
私達の生活になくてはならない場所が斎場です。ですから、私益のためだけにとらわれずに
公益を目的としながら、考えてものを言うべきとおもいます。
「無いと困るもの」の一つが斎場です。
よく知っておかねばなりませんね。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
お盆
お盆の時期がやって参りました。
国内の各地方によって、風習や習わしはまちまちですが、日本人にとってこの「お盆」は非常に重要な行事であろうと思います。
よく「地獄の釜の蓋が開く」などと昔の人はおっしゃいましたが、その意味は、例え地獄に堕ちて苦しんでいる魂であっても、この時ばかりは、供養を受けることができる、ということなのかなと思います。
それほどのお盆ですから、これだけ科学が発展し、私達を取り巻く社会環境が変わっているのにも関わらず、「盆・正月」なんです。
各企業でも正月と盆には休暇があるようです。
日本にそういう文化がしっかりあることは、とても素晴らしく、嬉しいことだと思います。
なればこそ、お盆にはお盆の目的を理解し、その目的を果たしていこうではありませんか。
お盆の目的はと言いますと、この出典は「盂蘭盆経」というお経がそれで、目連というお釈迦様の弟子が、亡くなられたお母さんの死後の状態をご覧になり、逆さづりなら苦しむお母さんを救うため、お釈迦様にその方法をお伺いし、それによりお母さんが救われた。ザックリ言うとそう言うお話なのですが、お母さんは先祖を、目連は私達を表します。
親孝行を伝えるお経であることはもちろんなのですが、我々はご先祖様の姿を見ることはできません。
例え苦しんでおられるご先祖様がおられたとしても、このお盆には供養を手向ければ、お救いをいただくことができる、ということも書いてあるのであります。ですから、お盆の目的は先祖供養であるわけです。
ではどうやって先祖供養したら良いのか。
もちろん、墓参やお寺参りなども大切なことです。でも一番大切なことは、ご先祖様にご安心いただくことではないでしょうか?
ではどうやって安心していただくか、それは、
「家族みんな仲良く」です。
まずは、家族が仲良くしてくれていることが、ご先祖様にとって最も嬉しいことでもあると思います。
人と人とのかかわり。まずは家族とのかかわりからです。
どうか読者のかたには、しっかりと「お盆」を勤めていただきたいと思います。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌