お坊さんが語る終活

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死と尊厳と権利

NHKテレビで、彼女は安楽死を選んだというドキュメンタリーが放映されていた。

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人の生と死、私の考え方としてはこの生と死は、同じ重さであろうと考えている。

番組ではスイスでの安楽死を迎える施設で、一人の女性が投薬を受け、二人の姉に見守られながら死を迎えた。

 

日本では安楽死は認められていない。

 

人の死には死を迎える本人と、その人を送る人々という構図がある。

病などによる苦痛、治癒の見込みのない病状、それらが目の前に現れた時、本人は安楽死を望むことがあるのかも知れない。

周囲もその苦痛をとどめてやりたい、その方法としてその道を選ぶことがあるのかも知れない。

 

本人の尊厳と本人の権利。これらが安楽死を認知するキーワードである。

 

生命の誕生。これは人為的にできることではない。

もしかすると、不妊治療など医学が進んでいるから、人為的に生命を誕生させることができる、と思う方もおられるかも知れないが、違う。

 

精子卵子が結合し、そこから肉体形成の細胞分裂が繰り返される。これは人為的にできることではない。

命の存在に対して、人類は果たして采配を下しても良いものなのでしょうか。

個人の尊厳と権利が叫ばれる世の中ではあるが、命の起こりと命の終い、これについては私たちのような「生きている」者が采配すること自体、自然に対して甚だ越権行為と言わざるを得ないのではないか。

苦をいかに受け止めて行くべきか、きっと答えを出すことは誰にもできないのでしょう。

でも私は思います、きっと自分の意思で采配すべきことではないのではないか、と。