祟り⑧
祟りも8回目です。書けば書くほど次が続いてしまい、中々結論までたどり着けません。
祟られる何らかの原因。
よく病気や怪我が続いたり、科学的解明ができないときに使いませんか、
「なんかあるのかもしれない」よく聞くパターンではないですか。
この「なんか」これが祟りの正体でしょうね。
「なんか」とは断定ができないことから発生する言葉ですが、これはずっと断定できない存在なのだろうとおもいます。
よく霊能者的な方が判断する、いわゆる拝み屋さんと呼ばれる人がいます。その方の能力の正否はわかりません。でもその方が断定した所見から状況が変わることもまた事実だったりします。
でも「なんか」は私たちにとっては固体として確認できるものではないのです。
「なんか」いい言葉じゃないですか?
「なんか」という感性があるからこそ、自分自身のわきまえに思いを致すことができ、目に見えない存在の不可思議に畏敬を感じることができます。
「なんか」この存在が私たちを幸せにも不幸にもして下さる、いやこの存在をどうするかによって、私たちが幸せにも不幸にも、どちらでも選べる、という事が正しいのでしょうね。
次回で完結にしたいと思っています。