お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

第三者ではいけない。

最近、耳と頭が麻痺してしまいそうになるくらい、痛ましい事件が次々起きている。

 

新潟で女子児童が23歳の男に連れ去られ、殺害され、列車事故に見せかけるため、線路内に遺棄された。

まだ、動機などについては明らかになっていませんが、何らかの性癖によることが想像されます。

「犯人が捕まっても、娘は帰って来ません」

親御さんの心中はとても察するに、あたり得ません。娘さんのご冥福をお祈りいたします。

f:id:obousansk:20180517185823j:image

私達は最近、日常的に理解不能な犯罪ばかりを耳にします。しかし時が経ちますと忘れてしまいます。

今回の事件でも、今感じている憤りや、怒り、悲しみは、程なく感じられなくなってしまうのです。しかし、当事者は違います。娘さんを奪われたご両親は死ぬまで、このつらさを感じて行かねばならないのです。

また一方で、犯人の家族もまた、もって行き場のない苦しみを背負って行かねばならないのです。

 

私にも幸い子供が二人おります。男の子と女の子です。

僧侶の端くれの私がこんな事を言うのはどうかとも思いますが、私にとっての一番の恐怖は、多分、子供を失う事でありましょう。

想像しただけでも、おかしくなりそうです。

 

先程のニュース番組で、通学路の見守りボランティアが、高齢化しているのが問題だとコメントしていました。

正直、何言ってんだって感じです。

通学路の見守りの要らない社会は作れないのでしょうか?

 

交通に関して、ルールを守らせる意味でのサポートは有効であり、教育としても必要です。しかし、変な人から守るための見守り、それが高齢化で少なくなるのが問題だという発想の方向性が違うと思うのです。

 

何が犯罪者を作るのか?

なぜ犯罪者になったのか?

犯罪者に不足しているものは何か?

 

本気でみんなが、当事者としての意識をできる限り持ち、犯罪者を作らないための方法を究明しなければ、世の中は悪化の一途を辿って行くでしょう。

 

皆さんの身内が加害者になることもあります。

事故など過失の場合、状況によって仕方がないこともありますが、事件の場合、悩んでも悩みきれない、悔やんでも悔やみきれない。こんな事になるでしょう。

誰一人、犯罪を犯す人のいない国を、一人一人が当事者として、真剣に取り組んでいきたいものであります。

人とは何のためにこの世に生み出していただいているのか、何をしなければならないのか、これを知ってもらうしかないと思います。

先ずは、どんなことにでも感謝できる生き方の訓練が必要です。

幸せな社会を作るために、小さなありがとうをたくさん積み重ねてまいりましょう。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

サイパンから帰国

今年もサイパンでの慰霊法要を、無事に勤めさせていただきました。

日本人が決して忘れてはいけない島、それがサイパンです。

f:id:obousansk:20180516222354j:image

物が豊かになり、平和を当たり前に享受できる環境にある私たちは、ともするとこれが当たり前のように錯覚する。

 

昭和20年8月6日、午前8:15.一発の原子爆弾が広島相生橋上空で炸裂した。

 

この事実は戦時下であったとしても、まさに晴天の霹靂であったと思います。

しかし、この事実が発生した一つの起源は、サイパン陥落の出来事であります。

 

当時の方々の思いにピッタリそいきることはできませんが、生と死を見つめるのに、サイパンはとてもよい場所であります。

 

皆さんも一度はサイパンを訪問して下さい。

 

ご覧下さり、ありがとうございました、合掌

お墓は正の財産、負の財産?

私たちには、必ずこの世の生涯を終える時がやって来ます。

昨日までお話をしていた、頼りの配偶者が今日は冷たくなり、寝息さえも立てない。

愛別離苦」という言葉は仏教の言葉でありますが、この苦しみ、悲しみは四文字で表すにはいささかこと足らぬ想いでありましょう。

しかし、定業の時は男女、尊卑、貧富の隔てなく訪れるのです。

f:id:obousansk:20180510124727j:image

私達は亡くなられたその亡骸を荼毘に付します。そしてその亡骸が最後に残したものが、「遺骨」なのです。

 

少子高齢化の中、遺骨を火葬証明書を抜いた状態で電車の網棚の上に、さも忘れたように放置するような人のある昨今、お墓もまた正の財産から負の財産に変わる傾向にある気がします。

 

祭祀継承権。墓、仏壇、祭具などを引き継ぐ権限ですが、これが権限から義務に変遷を遂げております。

お墓がある事で、自分たちのご先祖様が残された、最後のしるしとしてのご遺骨を大切にお守りする事ができ、またそこに自分たちも家の一員として収まる事ができる。これが墓の持つ意味かと思います。

しかし昨今の風潮は、祭祀継承権を引き継ぐと、墓守りをしなければならない、年忌の勤めをしなければならない、寺との付き合いを強いられる、などという感覚が前面に出て来ているようで、そこから墓じまいや、仏壇じまいという考え方が生まれたのだと思います。

 

墓は負の財産なのでしょうか?

 

一般的に人は適齢期に相手を見つけて結婚し、ほぼ多くの方は子を授かります。

そして、ほぼ多くの親は子供を愛し、子供を守りながら育てておられます。

父親は父親として子とかかわり、母親は母親としてかかわりを持ちます。

特に母親の愛は「無償の愛」と言われます。

しかしそのことを知らない、或いは気づかないまま大人になった子は、墓を正の財産とみなすことができなくなるのだと思います。

 

親があって、子がある。

この逆は存在しません。

 

様々な環境のご家庭があろうと思いますが、少なくとも墓を負の財産として捉えるような子育てだけは避けねばならないと思います。

それにはどうするか、簡単です。私たちが、仮に親が他界していたとしても、その親を敬い、尊敬し、これ以上ない自分の恩人であることを、子に、その姿、態度を持って見せればいいのです。

 

墓は負の財産ではありません。

家族や子孫を守る正の財産です。

 

その考えを土台として、その上でどうするかを考えていただきたいと思います。

これからの20年、「多死社会」となります。

どうぞご自身の足元をしっかりと見て、後悔のない人生を送っていただきますように。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

終活講座第2講 横川会場

今日は午前中、横川駅前の西区民文化センターで、第2講モノの整理と処分の講座を開催致しました。

やはりGWということからか、当日欠席が目立ちましたが、それでも15名の方が熱心に受講されました。

 

ティーブレイクの際、ご夫婦で受講されておられる方から

「私たちは先生のお話を夫婦で聞かせてもらっていますので、終活もしやすいです。お互いが理解して出来ること、この講座のおかげです。」というお言葉も頂きました。

 

また、質問ではやはり「お墓」がらみでした。

今日の質問はまだ楽でした。楽というのも変ですが、これから墓を建てようと思う、といった内容でしたので。その方のバックボーンに合わせた回答を致しました。

 

そんなことで、今日も楽しく終活の勉強をさせていただきました。

次回第3講「葬儀・供養」は5月26日の午前10:00〜12:00、場所は私の職場「お寺」で致します。

もう既に課程を終えておられる方でも、もう一度聞いておきたい、という方は遠慮せずお申し込みください。

 

今日が一番若い日であることを知って、頑張っていきましょう!

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

「ありがとう」に気づくとき

先日来、ためになるお話を聴かせて頂く機会に恵まれています。

その中でも「ありがとう」の効果は無敵なように思います。

f:id:obousansk:20180430151304j:image

ちまたはGWですね。

新大阪駅のホームにもいつもより家族連れの姿や、カップルが目立ちます。

皆さんもどこかお出かけの予定があるかもしれませんね。

お一人で、お友達と、ご家族と。

 

お出かけの時「行った来まーす!」ご家族のおられる方はそう言ってお出かけされますよね。

そして帰宅時は「ただいまー!」ですね。

さあ、これがすご〜い事なんですね。

当たり前の事のようですが、すごい事なんです。何故すごいか?

 

あなたが出かけるとき、家族の方が元気でなかったらどうでしょう?

急な体調不良を訴えられたら、出かけられなくなりませんか?

家で何かトラブルが起きたら、これまた出かけられなくなりませんか?

家族の方が、あなたが出かけることを快しとしなかったら、出にくいですよね。

 

帰宅した時、「お帰りなさい」と言ってくれる人が、あなたが不在の間、あなたが今日宿をとる建物を守ってくれていたんですよね。

出かけたあなたの、今日の目的が達成できた背景には、実は留守を守ってくれた人が不可欠ではなかったでしょうか?

 

きっと「その通り、確かに!」ですよね。

だったら、今日一日のあなたの行動を支えてくれた人の一人が、あなたの家族という事になります。

普段、当たり前と感じていること、実はすっごくなくてはならない感謝事項ではないですか?

 

じゃあちゃんと言いましょう、

「ありがとう」と。

良い事をするという括りではありません。ごくごく当然のアクションです。

私たちは何か自分に対して、目に見える物や形を享受した時「ありがとう」と言います。

でも、実は毎日毎日、生活の中でなくてなはならないモノをすでに享受しているのです。

 

さあ、GW、「ありがとう」をいつもに増してたくさんたくさん、言葉に出して伝えてみてください。きっときっと、よりハッピーなGWになると思いますよ。

やってみた方、ぜひぜひ感想を聞かせてください。

「ありがとう」で皆さんのGWが充実しますよう、私も祈ってますね。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

幸せの芽吹

去る26日、待ちに待ったご親教が、1週間前の雨予報をよそに、晴天の中行われ、240名余りの方が法縁に触れられました。

f:id:obousansk:20180428140810j:image

行事は午前10時から随行員の説教、同じく随行員による「中有」これは私達がなくなってからの通る道行きを、掛軸をもとにお話するものです。そして、初代から三代、そして代行者までの布教の姿をあらわしたDVD「旅路」。

 

午後は代行様による法話で、3時過ぎには終わりました。

燈主代行様は2時間を超えて立ち通しでのご法話で、幸せな人となり、幸せな人類になるため、様々なお話がありましたが、特に「胎内教育」のお話が多くございました。

f:id:obousansk:20180428145859j:image

子育ては受胎から始まる。

お腹の中にいる時の母親の思い方が、その子に大きく影響することなどを、大変わかりやすくお話くださいました。

参加された方々は、異口同音に「来て良かった!」と喜びの声を口にしておられました。

ご親教ではまた、目に見えない神仏のご加護があるわけですが、歩きづらさを感じておられた方が、翌日には小走りしてお寺に来られたり、

当日は仕事で、夜の座談会だけ参加する予定の方が、日中職場で思いがけない出来事があったなど、様々な事をもって神仏のあることを見せていただきました。

 

人類が幸せに暮らすため、まずは日本人が、特に女性が人の道に目覚めなくてはならないことを知らせていただいた、大変有難いご親教でありました。

私個人もとても多くの人喜びをいただきましたが、特に普段なかなかお寺にお見えにならない方々のお顔を見ることができ、その方々からも喜びの声お言葉を聞かせて頂けたことが、何よりのおかげでありました。

 

この度のご親教を縁として、広島近在の方々が、神仏の存在に目覚め、人は人を幸せにする目的でこの世に生まれて来たことを知り、天命を全うしてくださる方が増えることを願いながら、有難い行事を結ばせていただきました。

 

次は7月22日に行われる、第32回広島原爆殉難者慰霊法要に向けて準備を進めてまいります。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

ご親教間近‼️

4月26日(木)待ちに待っているご親教が開催されます。

桶屋良祐燈主代行様が来広され、幸せになるための法話が行われます。

昨年は5月でしたが、今年は第1次として4月7日に大阪を出発、九州の各寺を隈なく巡り、26日の広島で、一旦大阪の本山へと帰られます。

f:id:obousansk:20180423091106j:image

(写真は昨年の模様)

 

この「ご親教」終戦後の日本を再興すべく開祖様がご霊示のもと、全国を巡教してまわられたもので、その目的はただ一つ、この世に神仏のあることを知らせ、神仏の望む誠の道を歩む人を世の中に増やし、現世の浄土実現を目指す、本当に功徳のあらたかな行事であります。

 

法話に触れることで、体や心が楽になるなど個々別々ではありますが、おかげをもらわれる方は枚挙に暇がありません。

信徒さんは年に一度、幸せの肥しを頂くこの行事に向けて、かげひなたなく御準備を進めて下さいます。

昨日の日曜日も、老若男女と言いたいところだが、「老々男女」あまた集い、和気藹々の中、雑巾や掃除機を手に喜びの御奉仕に汗を流されました。

 

26日、広島近在の多くの方々にお幸せの種を一粒でも多く、受け取っていただきたいと思います。

ご都合のつく方、高い敷居はございません、どなたでも御参加頂けますので、御来場下さい。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌