お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

曼珠沙華

この数日間、用事がとても多くまたもや更新ができませんでした。

 

大阪の本山で開祖様の御生誕祭が行われ、三千名を超える方々が全国からおみえくださいました。

そんな行事を終えた今朝、ふと参道の石垣のもとの真っ赤な花が目に入ってきました。

曼珠沙華、別名彼岸花

f:id:obousansk:20170910124700j:image

この時期まで、鳴りを潜め、毎年この時期になると背伸びしてニカッと笑う、あのお花です。

 

本山には数えたことは無いですが、それはそれはたくさんの曼珠沙華が咲きます。彼岸の風物詩かも知れません。

 

ところで「うっかり」って使いませんか?

私は残念ながらよく使います。皆さんはいかがですか?

 

でもこの曼珠沙華、「うっかり」が無いのです。必ず姿を現します。不思議な花です。

 

彼らはどうしてこの時期を忘れないのでしょう。本当に不思議です。

 

年に一度だけのお目見えなのですが、他の花より私にはインパクトが強いです。

秋の彼岸に10日くらい花を咲かせ、花が終わると水仙に似た葉を伸ばし、冬までの間太陽から栄養をもらう、そして葉が枯れて翌年の秋を待つ。

350日間くらいはその存在さえも忘れさせる「地味な」花だと思います。

 

でも私達もこんな感じの生き方が良いのかなとも思います。

 

普段は静かに水が地を這う川のように流れ、節目節目において滝の水が落ちる如く、その美しさを披瀝する。

 

下流に至っては、全て自分を無くして海へと自身を同化させる。

 

そんな人生観を考えさせてくれる花が曼珠沙華ではないかと思います。

 

もうすぐお彼岸。曼珠沙華が天を目指して高みを目指すように、日々力を蓄えてその時、その場において、周りに喜ばれる自分を目指したいものです。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

 

 

広島の10倍

某国の核兵器開発が著しい進捗を示しているようですね。

 

広島の10倍との報道がありました。

 

数年前、オウム真理教の実行犯の判決に、裁判官が、よき指導者に巡り会えなかったことがあなたの一番の不幸である。というコメントを出されました。

 

一国の指導者が国民の利益を考えず、私利私欲、名声に囚われた形で政治を握ると、国民はオウム真理教の実行犯が言われた状況と同じになります。

 

宗教は自分で選択できます。しかし生まれる国は自分が選択できません。

そう考えるとき、本当に某国の国民は哀れとしか言えません。

 

哀れな国から何が飛んでくるかわかりません。

生かされて生きている今日1日今日1日を大切にしていってください。

 

そして、本当に自分を愛してくれるよき指導者を見つけていってください。 

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

たったひとつ

新学期が始まり数日が過ぎ、今夜のニュースに、中学生と高校生の自殺が報道されました。

親御様の思いを察しますと、本当に言葉がありません。

 

勉強、対人関係細かく見ればもっと、その原因であろうことがあるのかもしれません。

 

中々、若い人達に向かって話をする機会に恵まれないので、お伝えができていないのですが、あえてこのブログをご覧の方から、機会があったら若い方に伝えてあげてほしいと思います。

 

生きる方法、生きる場所、生きる希望は必ずあるということを。

 

その人その人にあった生き方は必ずあります。

ひとりで見つけにくければ、誰かに相談して見つける方法もあります。

 

何年、何十年前、お母さんが十月十日お腹に宿し、「人」は生み出されてきたのです。

 

人により育つ環境は様々と思います。しかし生まれてきたときはみんな裸なんです。みんな一緒です。

 

神様は「この世の中をみんなが幸せに暮らせるように、仕事をして来い」と、私たちに伝えて生み出されました。でも忘れてしまっているのがほとんどの人です。それを思い出しましょう。いえ、新たに自覚しましょう。

 

自分が生まれた本来の目的をしっかり捉えて、人生を通ってもらいたいと思います。

 

世の中の悲しみが、少しでも少なくなるよう、みんなで祈りましょう。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

終活講座 お寺会場

今日はお寺会場で終活講座の第5講並びに第6講を開催させていただきました。

 

第5講では15名が、第6講では41名の方が熱心に受講くださいました。

 

第6講は最終講ですから、お一人お一人感想を述べて頂いておりますが、私がお伝えしたい事をきちんと捉え、前向きに意識を持っていただけていることに感動いたしました。

 

終活をする上で最も大切なことは、今、向きあっている人や物と、如何に向き合うかという事ですが、それを本当に的確に捉え、今後の生活に反映して行こうという意志をあらわしてくださいました。

 

終わりに修了証書をお渡しし、笑顔の中閉会を致しました。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

忌み詞の世界観

今日、千葉に住んでいる姉から「梨」が送られてきました。早速、ご本尊様御宝前にお供えさせていただきました。後日、皆さんで美味しくいただきます。

f:id:obousansk:20170901222714j:image

さてこの梨ですが、別名「有りの実」と申します。

 

今を去ること30年ほど前、私は東京は銀座のクラブでウェイターのアルバイトをしておりました。その時、月に一度、いわゆる「み○じ○料」というのでしょうか、それを届ける業務がありまして、その届け先が「有りの実」というスナックだったんです。

 

そんな言葉聞いたことが無かったので、先輩に聞きますと、「梨」とのこと。

 

ああいった業界では「ゲンを担ぐ」こともあり、梨は「無し」に通じることから、反語で「有り」の実ということにしているのであります。

 

でも、私達の身の回りには他にも忌み詞、使われています。

 

例えば祝宴を閉じるとき、「御開き」という。

本当はすり鉢でするのに、「当たる」とか。

植物の葦の事を「ヨシ」と言い換えたり。

 

しかしこういった文化のルーツは神さまとの関わりから生まれてきているそうです。

祭祀を進める中で、神様に対して失礼の無いよう、穢れの無いよう、言葉にも配慮されてきた文化が流れているのであります。

 

すごいですね、英語圏ではそういう配慮あるのでしょうか?

 

ともあれこれは、自分自身よりも相手を思いやる、「心くばりの文化」に他なりません。

私達日本人の父祖は、常にそういった考え方のもとに営みを続けてきた民族なのであります。

一人一人、自信と誇りを持って生活してまいりましょう。

 

姉から良いお題をいただきました。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

講演会のお知らせ

日中のところ陽射しはまだまだ真夏ですが、朝晩、少し楽になったきがするこの二、三日となりました。皆さんの地域はどうでしょうか。

 

さて、お坊さんが語る終活講座も、開催から一年を迎えます。この間たくさんの方々の御支援、ご協力を頂いております。また、300名を超える受講者の皆様の熱心な聴講が、講師の私自身を支えてくださっていることも間違いありません。

 

そんな中、この度もっと広く本当の終活を知っていただく御縁を広げたく、講演会を開催する運びとなりました。

 

お坊さんが語る終活講演会

「あんたと私どっちが先か、わからんよ」

 

この演題で、お話をさせていただきます。

日時は10月14日(土)14:00〜15:30

場所はアステールプラザ4階 大会議室

          (中区民文化センター)

           広島市中区加古町4-17

入場無料、ただし定員120名で事前申し込みが必要です。

f:id:obousansk:20170831204320j:image

人の命の期限はわかりません。

そんな当たり前のようなことを、今さら聴いていただくのであります。

でも、当たり前のようなことが、割と本当のところ、理解されていないのが一般の方々です。

 

ご興味をお持ちの方はぜひ一度、聴いてみてください。

詳しいお問合わせは、添付チラシの連絡先へお尋ねいただくか、またはこのブログに書き込みをしてください。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

 

 

隣国の脅威

終活とはあまり関連無いかも知れませんが、ここまできたか、という感じが否めず、少しコメントいたします。

 

地球上にまだあんな国家が存在するのかな?とも思えるような独裁国家が今朝、北海道の東沖にミサイルを落としました。

本当に困ったものです。

 

言い諭そうとしても聴く耳を持たないのですから、どうしようもない。

 

国民一人一人の命などは全くおかまいなしですから、ほぼ国家としての体はなしていませんよね。

 

さあ、そんな中で私達日本人はどうしますか?

 

政府は制裁措置を講じています。でもそれは外交上お話が出来る国家に対して、効き目がある話。

いつ何をしでかすかわからない国には全く意味をなさないということになります。

 

では、万が一にいかに備えるか、ですね。

そろそろ本気で考えないといけないのでは無いでしょうか。

 

丸腰の国家は国民の生命と財産を守ることはできませんよ。

 

日本国憲法、変えるしか方法はありません。

本当に考えてみてください。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌