震災から6年、七回忌
今日は東日本大震災から丸6年、犠牲となられた方には七回忌をむかえられました。
かつて無い自然災害を目の当たりにした6年前でありました。
その年の6月に岩手県の被災自治体を、教団の特使として供養のため回らせていただきましたが、特に皆さんご存知の、奇跡の一本松のある陸前高田市は今も強い印象が残っています。
街が無くなる。と言う言い方が適合する状態でありました。
我々一行は自治体の中で、最も被災のひどかった場所で、読経供養を手向けてまいりましたが、さすがに陸前高田は適地の限定がむづかしく、最終的に多くの人が出入りしたであろう、市役所前で読経供養をさせていただいたのであります。
大自然の前に我々は超微力であります。
登山家が「山を征服」と言う表現をされますが、言語同断でありましょう。大自然に向かって、「征服」は傲慢としか言いようがありません。米一粒も自然の恩恵に浴している私達であることを自覚し、謙虚な生き方をすべきが、我々の本来の生き方ではないでしょうか?
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
終活講座 福山会場
本日は福山市にある、学びの館 ローズコムで、第2講 モノの整理と処分について講座を開催し、19名の方が受講下さいました。
三寒四温の温の日でしたので、暖かな日差しの中、皆さんも集まっていただけたかと思います。
会場へ向かう車中、「最近、忘れ物がひどくて」とスタッフの方会話するうち、一つの結論が導き出されました。それは・・・
「今日の自分が一番フレッシュ」ということでした。取りようによっては悲しい感じにもなるかもしれませんが、明日に比べれば今日は1日若い、その事実を踏まえれば、もっと1日を有効に使えるのではないかということです。
毎日記憶力も、体力も低下する年ごろです。出来ることはやはり今日すべきですね。
毎日が終活と意識したいものです。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
終活講座第1講 袋町
今日は袋町のひとまちプラザで、第1講をさせていただきました。参加者は突然の欠席もあり、10名でしたが、皆さん熱心に受講下さいました。
三寒四温の寒の1日、寒い中をお越しくださいました。参加者の中でやはり葬儀やお墓の心配、特に後継の方との関わりごとが関心事のようでした。
中々1プラス1は2とはいかない問題ですから、これらのことは、正にカウンセラーがカウンセリングすべきことだと感じました。
講座では解答仕切れないこと、どうぞご遠慮なく、ご相談ください。という感じです。
話は変わりますが、待機児童の問題があります。政府も自治体も取り組みをしていますが、私から解決の一案です。それは、核家族から昔のように同居世帯に戻る事です。
わずらわしい思いもあるかも知りませんが、家族にとってもそれが一番だと思います。
日本の古きよき風習、文化を見直して行きたいものです。
ご覧くださり、ありがとうございました。合掌
終活講座 第2講 緑井会場
本日は午後一時から、緑井スカイステージで第2講「モノの整理と処分」の講座を開講させて頂きました。
25名の方が受講くださり、終活としてのモノに対する考え方や、整理、処分の方法をお聞きいただきました。
第2講ということもあって、前回顔を合わせた方が「お仲間」的感覚の中、真剣に受講くださいました。
講座が終わった後いつもボランティアスタッフの方と15分程度の反省会をするのですが、今日はスタッフの方以外に受講生の方も残ってくださり、和気あいあいの中、反省会をさせて頂きました。
ある受講生の方は「ありがとうというと、何か自分自身がとても優しくなれるような気がします。素直な自分が形成されるような気がします。」とのコメントを発してくださいました。
「お坊さんが語る終活講座」のメインテーマは「人と人とのかかわり」です。
善きかかわりを持つための特効薬が「ありがとう」です。もしかすると
「アリガ糖」という心を豊かにし、顔を笑顔にするとても甘い糖分なのかもしれませんね。アリガ糖には脳を活性化させる成分が多く含まれていると思います。
しっかり糖分摂取に心がけ、後悔しない毎日を送っていきたいものですね。
受講生の皆さん頑張りましょう!
*1:反省会後に記念撮影
二人三脚
3日から6日まで、大阪の本山で行事があり、出張しておりました。
5日は午前中、教団の開祖様のご法要行事があり、午後は全国のご信徒の方の代表者が集い、教団の重要な方針を示唆いただく行事が執行されました。
普段、広島のお寺で私は「住職」であることはもちろんですが、家内は「副住職」という職責も担っております。
今回、重要な行事でしたので副住職にも大阪へ来てもらい、行事に参加してもらったわけですが、夜になってふと、家内が大切な行事の内容を同じ場所で聞いてくれていることによる、何か「安心感」を感じたのでした。
いつもなら本山で聞いたことを、広島へ帰ってから「伝える」ことが専らですが、今回同じ会場で同じ話を聞いていてくれたことで、私の背中の「荷重」が半分、いや半分以下のような感じでした。
よく夫婦は「空気」にたとえられます。
普段は意識しないけど実は「なくてはならないもの」ということでしょうか。まさにそういう実感を覚え、改めて感謝の想いを持つことができました。
今日一日、今日一日に感謝のできる毎日を続けてゆきたいですね。
ご覧くださり、ありがとうございました。合掌
家族
他愛もない話ですが、一昨日の夜、風呂上がりに、「コーラが飲みたい」と息子に向かって言いました。息子は渋々ながら台所へとコーラを取りに行きました。行きしな、妹が「わたしも」と言います。聞こえたかどうかわかりません。
しばらくして、他愛もないことに私は泣いてしまいました。
息子が家族全員のぶんのコップをお盆に載せてきたのです。
私は泣いて喜びました。
いつからこの子が、こんな判断をおぼえたのだろう。渋々でもこんな知恵を身につけてくれていたことに、私は大きく感動したのであります。
家族、ありがたいものですね。
ご覧下さり、ありがとうございました合掌
今日一日という生き方
今朝のニュースでしたか、認知症の奥様を介護されておられたご主人が、とうとう疲れ果て、奥様を手にかけてしまったという、悲しい事件がありました。
「老々介護」夫婦として何十年も助け合い、寄り添って生きてきて、最後の最後にこういった状況になることは本当に聞いていても堪えられない心境であります。
夫婦、親子、家族。誰しもがこの関係性において善き関係を築いて生きてゆこうと努力しておられることと思います。しかし、ある日突然、予期せぬ環境が訪れてくるのが昨今ではないでしょうか。
相手なのか、自分なのか、どっちが先でどっちが後か、その計画書は見たことがありません。そんな私たちにとって何が大切なことなのか。
年齢が若いかそうでないか。体が健康であるかそうでないか。地位や名誉があるかないか。全く持ってそんなことは関係がないのであります。では何が大切か。
「今日一日」が大切の極みではないでしょうか。
「今日一日」向き合う人に温かい心で接することができたのか。
「今日一日」愛する人に「愛」のある言動を施せたか。
「今日一日」今日一日を後悔しないよう心掛けた生活をしたか。
こういうことが実は大切なことなのではないかと感じています。
「忙しい」という字は立心偏に亡くなると書きます。
忙しい毎日ですが、「こころを亡くさない」生き方をしたいと思います。
ご覧くださり、ありがとうございました。合掌