お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

ゴマゴマゴマ フラペチーノ

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昨日から大阪入りし、今朝5:00からの星まつり祈願護摩供の開闢に出仕させていただきました。

寒の入りの朝、どちらかといえば暖かい朝のように感じました。

今朝は開闢とあって、燈主さまご親修の護摩、神戸からバス一台の行者出仕も合わせて、内陣は立錐の余地の無い状況で、真剣な祈りが捧げられ、節分までの間、毎朝祈念が続くのであります。

私も26日の朝は導師を勤めさせていただき、申込書の方々の除災招福、諸縁吉祥を祈念させていただきます。

 

出仕を終えて一路広島へ。

新大阪駅で、30日にアップしたブログにある、スターバックスに足を踏み入れてみました。

あの時、店長さんらしき人が連呼した、ゴマゴマゴマ何とかというものがどうも気になり、初スタバしました。

 

メニューを見ると期間限定でゴマゴマゴマフラペチーノというシェイクみたいなものが、その正体でありました。

 

とっても美味しいものでした。

スターバックスはコーヒー屋さんだとばかり思っていましたが、他にもいろんなメニューがあり、若者になった気分のひと時でした。

 

でも面白いですね、今まで何度もスターバックスは見ているのに、あの時の店長さんのような方の振る舞いによって、私は導かれたのだと思います。

良き行いは良き環境を生み出す、まさにその実例と思います。

 

私の動作、発言で、人々をして良き環境に導くことができているのでしょうか、胸に手を当てなければならないと感じました。

 

店長さんのような方のお陰で、美味しいゴマゴマゴマフラペチーノの体験をさせていただいた、寒の入りでありました。

 

繰り上げ初七日?

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御葬儀に参列することがあると思いますが、最近は様々な形態が見られます。

もちろん一般葬、家族葬と言った区分けもあるわけですが、次第進行の部分でも様変わりをしております。

 

先日ある御葬儀の場で、葬儀、告別式が終わり、私の知る専らは喪主挨拶、お別れ、ご出棺という流れなのですが、その時は告別式のあとすぐに「繰り上げ初七日法要」が営まれました。ご宗派は浄●真●本●寺派でしたが、正直驚きました。

 

喪主様のご都合かも知れませんし、一概に言えないですが、せめて荼毘にふされて、骨上げのお勤めをしてから、繰り上げくらいならと思いますが、流石にその場ですぐには、びっくりしました。

想像ですが恐らくはお寺様からのご提案だろうと思います。一般の方々は葬儀という場面には慣れておられません。お寺様からの助言でご遺族もそうされたんだと思いますが、私の感性から言えば「困ったもんだ」であります。

 

後日、通夜式に参列された方から聞いた話ですが、そのお寺さん、全くお説教をしなかったそうです。葬儀の際は火葬場との関係もありますので、そこは避けられる場合が多いですが、通夜は故人様との最後のお別れの晩です。やはり宗教葬であるならば祭主、導師はいのちの営みについて宗教的見地からお話をすべきであります。御布施をお預かりするにはそれなりの善導をすべきが、そのお役目ではないでしょうか。

 

そんな事だから「直葬」などという考え方がまかり通ってしまうのです。

「最近は〇〇ですから」こんな怪しい言葉に惑わされず、その方の一生の最期の儀式を、きちんと勤めてあげてもらいたいものです。

お年玉

三ヶ日も済み、今日は久しぶりに休日をいただきました。といっても根が貧乏性のため、溜まっている仕事の片付けに時間を使わせていただきました。

そんな今日、郵便受けに遅れての年賀状と一緒に、一枚のハガキがありました。

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とっても可愛らしいお地蔵さんでしょうか、絵の下に

「お坊さんが語る終活

                  楽しみにしています。合掌」と。

消印は岐阜県のようです。

どなたかわかりませんが、とても嬉しい「お年玉」をいただきました。

と同時に中々アップできない昨今を恥じ入り、まさに今、ブログ更新をしております。

 

お一人でも私の稚拙な文章を待っておられる方があることは、本当にありがたいことです。

今年も生きるための終活のお話を、展開してまいりたいと思います。

今年もどうぞお付き合いください、そしてお葉書を下さった方、心から御礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 

明日は大阪入りして明後日の寒護摩の開闢に出仕させていただきます。節分までの一ヶ月間、星まつり祈願が毎朝5時から勤められます。

行ってまいります。

突然の旅だち

人の寿命は私たちの采配出来ることではなく、この大宇宙の生命、太霊から与えられた期間であります。

その期間の最期の時、どのような手立てをもってお引取りくださるのかも、我々の手の届かないところであります。

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さる29日、山口県光市にお住いのご信徒さんの奥様が往生の素懐を遂げられました。78歳。

胸部大動脈瘤破裂、あっという間の最期であったそうです。

 

11時からの葬儀に間に合うべく、光市に参りました。

ご主人は「どうすることもしてやれんかった」と肩を落として涙をこらえておられました。

ご子息、お嬢様もまた突然の旅だちに、言葉が見つからないご様子でした。

 

「お引取りの手立てが如何にせよ、奥さんは間違いなくお浄土へ帰られてますからね。」と言葉をかけて差し上げました。

 

信じた仏様から、戒をさずけていただいた時に授かった半袈裟を白衣の襟にかけてもらい、次の修行に向かう御尊顔は、まことに穏やかで誇らしげでもありました。

夫婦二人三脚、その足元の紐の解けかたは、あまりに突然であったと思います。

今はひたすら、浄土でのご修行が進まれることを願うばかりです。

 

いつも申します、「明日、先立たれても後悔の少ない、日々の向き合い方」

今日一日、最期の日とおぼえ、出来る限りの「愛」を注ぎ、その時の準備をしなければなりません。

門松や死出の旅路の一里塚

                   目出度くもあり目出度くもなし

こころされますように。

一年という時に感謝。

27日からの本山での迎春準備を終え、(実際には私の許す範囲のご奉仕時間を終え、が正しい)広島へ向かうため新大阪駅に到着しました。

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今日の新大阪駅はいつもと違う顔をしている。

ふるさとへ行く人、旅行に行く人、人、ひと。

待合室に附設したスターバックスは大繁盛。

 

さて、明日は大晦日

その翌日は世界中が新年を迎える。

今年を振り返ると、日本だけでなく世界中がいろんな意味で激震したのではないでしょうか。

 

皆さんにとってどんな一年でしたか?

私たちは「一年を過ごした」とか、大変なことがあった人は「〇〇に振り回された一年だった」とか、そんな表現をされる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

でもよ〜く考えてみましょう。

 

今、目の前のスタバのお店は長蛇の列。順番に注文の品が手渡されています。

今日一日でどのくらいの売り上げなのかわかりませんが、とにかく途切れることがありません。

店長さん風のお兄さん、お品渡しの際もちろん「お待たせしました、ありがとうございました。」と言うのですが、その後に「良いお年を」と付け加えておられます。

 

買う人も売る人も多分「初対面」でも最後のその一言に、温かさ、やさしさ、ゆたかさを感じます。

もしかすると私も、あなたも、何の面識も無い人から、温かくやさしく、そしてゆたかな言葉をたくさんもらっているのかも知れませんね。

もちろん、私やあなた自身が発しているのも事実でしょう。でも今年もあと一日、364日間にどれだけの人から愛を注いでいただいてきたのか、振り返ってみるべきですね。

きっとこころの中の無尽蔵の泉から「ありがとう」という言葉がコンコンと湧き出でてくると思います。

今日まで生かされて、ありがとう。

私にとって都合の良いこと、都合の悪いこと、何もかもが今日の私になっているわけですから。全てのことに感謝しかないですね。

 

明日は喜び納めをして、

明後日、喜び初めをしてまいりましょう。

良いお年を!

仲良くしてくれて、ありがとう。

クリスマスも終わり、公私ともにお正月に向かう毎日が始まりました。

明日から最終のご奉仕で本山へ行く前日、寺内で書類の整理や、来年のことを考えるさなか、バスケの練習に行っていた娘から、家内の携帯にコールがありました。

 

「みんながうちでお菓子作りをしたいって言うんじゃけど、昼から行っても大丈夫かねー」

 

突然のことで家内も少し戸惑うも、オッケーの返答。一体何人くらい来るのかな?って思っていると、ザッと10人くらいがやってきました。

みんな元気で明るい子ばかりで、気持ちが良かったです。

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用があって外へ出ますと、ずらっと並ぶ自転車。

有難いなあ、と感じました。

娘にこんなにたくさん友達がいてくれることに。

人は1人では生きられません。距離の近い遠いは別として、誰かとの関わりが無ければ生きていけないのです。

1人は淋しいですよね、だったらお互い声を掛けあって生きていったら良いのではないでしょうか。そしてまた、人に好かれる自分づくりが必要になります。

 

挨拶、笑顔、返事。この基本三原則は欠かせません。明るいところに人は寄ってきます。

しあわせは求めるものでなく、蒔いて行くものだと思います。

しあわせを蒔けばまくほど、しあわせは増えて行くものだと思います。

 

もう少し日数があります。年内に蒔けるだけ蒔いてまいりましょう。

忘年会

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もういくつ寝ると、お正月🎍

押し迫ってまいりましたが、息災にお過ごしでしょうか?

昨日の早朝、大阪から帰りまして、私は不覚にも風邪をひいてしまったようであります。

 

写真はある会合での忘年会のお料理です。

こんな美味しいものをいただいて、風邪をひくとは、よほど精進が悪いのだろうと思います。

 

さて、忘年会、皆さんは参加されましたか?

今年一年の憂さを晴らし、労をねぎらう行事だと思いますが、日本独特の風俗のようです。

しかし、一説によると起源は室町時代1432年12月21日の記録として「看聞日記」にあるとありました。連歌会、つまり何人かの人が和歌を連作する形で行われた歌会がその元のようです。

 

宗教的意味合いはないそうですが、当時の人達はきっと歌の中に、自然が作り出す造形に想いを寄せ、歌を詠まれたのではないかと想像します。1年間の感謝が、もしかしたら起源なのかも知れませんね。

 

さあ、あと数日、感謝できる項目を1月から思い浮かべてまいりましょう。きっとこころの温度が上昇すると思いますよ。

 

でも、文化は継承されるのですね、昔は和歌の連歌で、今はカラオケのマイクで。

ご自愛ください。