お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

終活講座第1講 in横川

本日10:00〜12:00、横川駅前の西区民文化センターで終活講座第1講を開催させて頂き、16名の方が受講下さいました。

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講師がこんな事を言ってはいけませんが、公務が重なっていたことから、久々の第1講でありまして、自分自身大丈夫かなぁと思いましたが、おかげさまでお伝えしたい基本が第1講ですので、次々と言葉が出てまいりました。

 

今回来られた方の中には、先月25日の仏教文化講演会に来場された方や、私が中国新聞の記者さんのお話を聞きに行った際にご縁が繋がった方もおいででした。

平均年齢63.4歳。若い方もいらっしゃる講座でありました。

皆さん本当に熱心に聴講下さり、アンケートには「早速実践してみます」と、講師として最も嬉しいコメントを書いてくださった方もおいででした。

そんな中、やっぱり?マークが出るキーワードが「お墓」でありました。

最近、現代人の終活の主軸はこの「お墓」かなと思うのであります。

どの開催でも必ずでる質問なのです。

ある面、父祖に対する敬虔な感情から出る質問ですから、ホッとするのではありますが、ことは一筋縄では片付かない問題と私は認識しております。画一的な答えは出せません。その方の背後にあるあらゆる環境を鑑みて、判断をせねばならないと思う事案であります。

 

次回第2講は5月5日こどもの日、同じ西区民文化センターで午前10:00〜12:00です。

 

たくさんの人とのお出会いに感謝致します。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

幸せな逝きよう

去る14日、大切な信者さんのお一人が極楽へと旅立たれました。

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先週末から今日まで在阪でしたので、訃報を受けていましたが、外せない公務があり今日の夕方、広島に帰り次第すぐに法衣に着替えてお参りに行かせてもらいました。

 

今月2日に私のお話を元気に聴いて下さり、その翌日から不調を訴えられ、即入院されたそうです。そして14日に逝かれたのであります。

行年77歳。今頃ではまだまだ若い、という年齢ですが、寿命はお約束ですから仕方ありません。

今日ご葬儀が終わったばかりでしたが、奥様からお話を伺いました。 

 

最期はおふたり手を握ったままでのお別れであったそうです。また、現物を見せてもらいましたが、ご家族へ感謝の手紙がありました。病床なかなか力が入らない中、ありがとうありがとうと。奥様と一緒だったことがご自身の一番の幸せであったこと、また、娘さん、お婿さん、お孫さんにも感謝の言葉が綴られていました。

 

2年ほど前でしたでしょうか、脳梗塞を患い、それ以来気難しく、対応が難しく感じられた時期もあったそうですが、1年前くらいからは穏やかになられ、ちょうど終活講座が始まり、その受講も功を奏したようで、万一の時のことをお互い、じっくり相談しておられたそうです。

この度の葬送についても、ご主人の想いをしっかり聞いておられたので、何も戸惑うことなく進捗できたそうです。

 

倒れてから10日あまり。この日にちの是非は一概に言えないですが、長く患うこともなく、かといって看病の時間が無いわけでなく、その間に会うべき人に会い、家族にありがとうが言え、最期は眠るように往生された。

本当にいわば理想的な逝き方だと思います。

素晴らしいお迎えをいただかれたこと、表現は変ですが、とても有り難く、嬉しい気持ちをご家族の方もお持ちでいらっしゃいました。

 

信仰により授かる功徳は多々あると思いますが、やはり最大の功徳が、この往生ということと私は思っております。

何年何月何日かわかりませんが、このブログをご覧になっておられる方にも、必ず訪れるのです。この度の方は御礼を言う時間的ゆとりがありました。でも、全てそうとは限りません!

だからこそ、今日一日、今日一日の感謝を身近な人に伝えておかねばならないのです。

 

幸せな逝きようが出来るためにも、日頃からの精進が必要かも知れませんね。

 

最後に御霊前に、「あちらでの修行を終えて、早くこっちへ戻って来てよ、お寺は忙しいんだから。」とニッコリ笑顔のご遺影に言葉をかけてまいりました。

心からの御冥福をお祈りします。合掌

 

 

広島市合葬墓

先日の無縁遺骨の話から、以前から気になっていた広島市の合葬墓を視察に行って来ました。

まずはとっても近くにあったので、驚きました。

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場所は東区の高天原墓苑。

広島市の斎場、つまり火葬施設のある、昔からの墓苑です。その一画に市が約1600万円で建立した立派な合葬墓がありました。

市のホームページで建立の規模や、考え方、仕様などを見ておいたのですが、恐らく内部はかなり大きな納骨施設であろうと思います。

 

納骨の条件としては、広島市の人、又は広島市の人の身内といった方の焼骨のみお預かり。

毎年公募があり、今年は第1回目は5月で広報などにも掲載されるそうです。

 

一体5万円ですが、あくまで市が責任を持ってくれるのは遺骨の合葬状態での「管理」です。

永代使用はできるが、永代供養はしません。

当然ですね、市ですから。

今後、需要は増える一方だと思います。

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壁面にはお名前が刻めるようになっており、現在182名のお名前が刻んでありましたが、その中でも同じ姓のお名前が6名並んでいるところもあり、明らかに「改葬」つまり「墓じまい」されたおたくの遺骨と判断がつきました。

 

墓の文化が音を立てて変わりつつあります。

しかしこれは墓で止まるものではありません。

「家」に必ず押し寄せて来る問題です。

 

私は個人的には合葬墓は反対ではありません。

ただ、父祖に対する畏敬、尊敬、感謝、これらの思いを伝えるツールとして、墓に始まる文化はとっても大切な役割を果たしていると思います。

一度、墓と遺骨と供養についてお話をする機会を作りたい気持ちです。

 

皆さんにはご家族はありますか?

そのご家族は、あなたの遺骨をどんな風に扱われますか?

ちゃんと日頃から想いを伝えていますか?

うっかりすると、畑の骨粉になってしまうかもしれませんよ。

きちんと遺骨を扱える育て方をして下さいね、お願いしますから。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

「無縁遺骨」より「自分遺骨」

中国新聞文化センターの主催で、

ニュースの窓       増える無縁遺骨というテーマで、取材にあたった新聞記者さんのお話があることを知り、午後から行ってみました。

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場所は広島の中心部、中区基町はクレドビルの10階。丁度その上の階では確定申告の出先会場となっており、たくさんの方が出入りいておられました。

 

さて、定刻の15分前には開場、ザッと20名程おみえでしたでしょうか、来ておられた方はやはりご高齢の方、私が一番若かったです。いや違いました、講師が一番若かった、が正解です。

 

以前新聞記事として取り上げていた題材、わたしもこのブログで、1月17日にコメントしておりますが、そのお話でした。

ひと通り話が終わり、講師である記者さんから、「何かご質問は」と。

そこから少しずつですが、ダムの水が放流されるように、ひとりまた一人と口が開く。

そもそも今日は、「無縁遺骨」すなわち、孤独死や、全く身寄りの無い方の遺骨の話なのですが、その口から出る言葉は、記者さんの取材内容に対するものではない。何か。

 

全てが、「自分の家の墓」の事か「自分自身の遺骨のあり方」でした。

 

「散骨はどうしたらできるのか」

「改葬するには」

「手元供養はいくらくらい?また、どこに頼めばいいのか。」

「宮島の海に、パウダー状にしてなら勝手に撒いても大丈夫か」とまあ、「その辺りは終活カウンセラーに聞く話でしょ!」という中身ばかりでした。やっぱりでした。

 

シニア世代の注目は「お墓」もっと言えば、不敬な表現を敢えてしますが「遺骨の処分方法」となっております。

 

私は一昨年の秋から終活講座で、一貫して「人と人とのかかわり」を伝えています。私の講座を受講された方は、遺骨について、またお墓について、一定の考え方をもとに判断していただいておりますが、やはり一般の方々は、こんな感じになってしまっているんだ、が私の感想です。

すっごく怖かったです。何故なら来場者の私以外は、おそらく70歳以上と見られたからです。何が言いたいかと?

 

それはその方達のご子息は恐らく社会の中心で活躍しておられることが予想されます。

しかしその親御さんが「遺骨」とはどういう概念を含むものなのかをきちんと考えずに、目先の墓や遺骨のあり方に右往左往している。

この状態からは次の世代には、もっと「家」「家族」という価値観が薄化してしまい、悲しく、寂しい社会になっていってしまうと思うのです。

今後20年、30年のち自分たちはもういない、と見るでしょう。でもそこで終わっちゃダメなんです。自分は終わっても我が子、我が孫は生きているんです。それを思ったらもっともっと広い見方で、この問題を見ていかなければならないと思うのですが、どうも目先の情報に括られている感が否めないのであります。

私の講座の第3講では「葬儀・供養」についてお話していますが、今日改めて別仕立てで講演会を聞いて、このことについてのみ、特化してお伝えしないとダメかな?と思いました。

 

遺骨の多くは皆さんがお世話になった方がこの世に残した最後の遺品です。

簡単に判断できる事では無いと思うのであります。皆さんはどう思われますか?

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

終活講座開講のお知らせ

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終活講座の第1講を来たる3月18日の日曜日、開講します。会場は広島市西区の西区民文化センターです。

9:30開場、10:00〜12:00までで、受講費は500円、テキスト、茶菓込みです。

 

終活とは死に支度ではなく、今をもっと生き生きと生活するためにはどうすればいいのか、それを学び、実践することと、解釈しています。

 

お近くの方で興味のある方は、ぜひ受講してみてはいかがでしょうか?

 

お申込みお問い合わせは、このブログへの書き込み、又はシェアされたFBからどうぞ。締め切りは3月8日です。

コミュニティ再生事業

本日の広報「ひろしま」の一面にコミュニティ再生事業の紹介が載っていました。

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小学生以下の子供がいる世帯が、広島市内に住む親元の近くに住み替えるか、同居を始める場合、引っ越し費用などの一部を助成するというものです。

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👍しました。

ほかの自治体でも実施しているのかいないのか、よく知らないのですが、よい事業と思います。

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よく、新婚の奥さんが目出度く妊娠して、嬉しいはずがマタニティブルー。

やっと赤ちゃんが授かったら、育児ノイローゼ

何とか切り抜けたら、思い通りにならない赤ちゃんを虐待。

最近耳にする話ではないでしょうか。

 

また、高齢者はどうでしょう、

老老介護に疲れ果てる間も無く認知症

認知症の配偶者を介護する中、最愛の人を手にかけてしまう。

自宅でも借家でも、ゴミ屋敷状態。

 

双方離れ離れでメリットはあるのでしょうか?

 

戦後の日本がたどった道を、そろそろ軌道修正せねばならない時、広島市の事業は一つの支援策としては有効だろうと思います。

 

人という字をみんな昔から教えてもらってますよね。「ささえあい」です。

やはり私たちは支え合うことを軸にして、暮らして行くべきではないでしょうか。

見えない姿を案じるより、少し鼻摘まみがあっても、見える姿に向き合う方が安心のレベルは上がると思います。

どうぞ、子供さんや孫さんの幸せのため、可能な限り、同居へシフトして下さい。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

「感謝力」という幸せの原資

昨日、山口県和木町の町民文化会館と広島市西区広島サンプラザの二会場で午前、午後、金剛寺執事長の丸山良徳師を講師に迎え、仏教文化講演会「人生を豊かにする 仏のおしえ」と題してご講演をいただきました。

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両会場とも満員御礼、特に広島会場では当初160名のお席をご用意しましたが、前日に190席に変更するほどのご期待をいただきました。

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丸山師はその期待を外すことなく、予定時間の90分を超えて、まさにエネルギッシュに心からの声を発して下さったのであります。

 

おかけ様で私の終活講座の受講生の皆さんも多数ご参加下さり、また、自由民主党政調会長 衆議院議員岸田文雄先生からはお祝いメッセージまでいただき、会に花を添えていただきました。

 

仏教文化。師のお話は仏教の話ではなく、仏教文化、まさに私たち日本人が持っている素地を踏まえた、大変親しみやすいお話でありました。

 

キリストの誕生日祝いをする「仏教徒

しかしお釈迦様の誕生日は知らない「仏教徒

キリストの誕生日祝いをして1週間すると、除夜の鐘の音を耳にし、年が明けた瞬間に神社に初詣に行く「仏教徒

 

師はこれが日本人の持つ文化であり、それこそが世界に起こるあらゆる紛争を治めて行く考え方の先端ではないか。と。

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そしてまた、仏教の開祖たるお釈迦様の出されたメッセージ「天上天下唯我独尊」この言葉こそ「仲良う」のもとであり、社会問題である「いじめ」無くする考え方であることを訴え、その上に、私たちが幸せになるためには「感謝力」が必要であり、まずは「ありがとう」というキーワードをとにかく使うことや、「心のやつし(化粧)」としての「笑顔」という無料の化粧品をプレゼンしてくださいました。

 

あっという間の90分、これがおそらく全ての聴衆の感想でありましょう。

 

私も終活講座の中の第1講で、

愛する人にありがとうをもっと言っておけばよかった」という、亡くなる前に多くの方が最も後悔されることを紹介し、今すぐ出来る終活として「ありがとう」を言いましょう。とお話させていただいておりますが、まさに直球でそのことを丸山講師はおっしゃっておられました。

 

そして要として

「私はこのことをご提案しているだけです。されるされないは皆さんお一人お一人がお決めになることです。」と。

本当にその通りですね、要は幸せになろうとするか、そうしないのか、それは自分にかかっているということであります。

 

今回の行事をさせていただき、初めて私どもの考え方に触れた方も多数おられました。

その方々が師のお話を「お話」として聴かれたのではなく、「幸せに生きる術」として聴いて下さっておられたことを、私は心から念願したく思います。

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ご協力下さったご関係各位には、改めてこの場を借りて御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

 

さあ、あなたも「感謝力」筋力アップで日々を生きて行きましょう。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。