フェルナンド・フィローニ枢機卿
先日、バチカンからフェルナンド・フィローニ枢機卿が来広された記事が、地元紙に掲載されていました。
キリスト教の最高位にある、フランシスコ法王の招聘は、広島県はもちろん、世界連邦日本宗教委員会、その他の団体も働き掛けをしているようです。
全世界に約20億人いると言われるキリスト教の信者。その最高指導者が法王であります。
もし、法王が来日し、長崎、広島に立ち寄り、世界に向けて発信をするならば、それはものすごい影響が見込まれます。
国際社会の中では、自分自身の宗教や思想を述べられない人は相手にしてもらえないと、以前聞いたことがあります。それだけ、海外では日本と違って、宗教のもつ個人への影響力が大きく存在しているということです。
隣国に影響するかどうかはわかりませんが、少なくとも、キリスト教圏の国には強い影響力をもつことになります。
今年、比叡山宗教サミットは30周年を迎えました。(8月4日のブログを参照下さい)
世界の宗教の指導者が手をたずさえ、人の幸せのために祈り、そして活動する。宗教本来の役割です。
その意味に於いても、是非ともバチカンからローマ法王が来日し、原爆の悲惨な事実を、世界の指導者、為政者に発信してくださることを、強く強く願うものであります。
皆さんも何かの機会には、そういう意識を持っておいて下さい。
この世界に生きとし生けるものすべて、神仏の分けみたまであることを、認識し、殺めのない世界にしましょう。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
秋の彼岸
昨日から秋の彼岸に入りました。23日が中日で、皆さんもお寺やお墓参りなど行かれるかと思います。
自然界においては、太陽と月の出る時間が半々と言われますが、実際にはきっちりではないとのことです。
ですが、「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、今朝あたりは本当に涼しい外気でありました。
さてこの彼岸、お墓参りや先祖様の供養のタイミングとしてのみ、捉えられがちですが、本質は違うんですね。
何かって⁉︎
私たちの人生のチェックポイントなんです。この彼岸は。
彼岸は読んで字のごとく「かの岸」です。当然ながら反対にあるものが「こちらの岸」「此岸」(しがん)と言います。
安心の人生「彼岸」、悩みや苦しみ、我がままの人生「此岸」と捉えたらわかりやすいですかね。
「彼岸」の正式名称は「到彼岸」即ち、安心の人生に進んで行く、ということです。
自分自身の日常の言葉や行いを点検し、自分自身が安心のできる、言葉や行いに軌道修正する機会、それが「彼岸」であります。
そんな自分になってこそ、ご先祖様も安心して下さり、それこそが本当の「先祖供養」になると私は思います。
「今日彼岸、菩提の棚を蒔く日かな」
お互い、点検、点検。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
台風に追われ東京へ
台風18号が九州地方をはじめ、西日本に被害をもたらしているようです。
私は18日に行われる東京のお寺の行事に出向することが決まっており、17日の日中、新幹線で上京する予定でしたが、私を大切にしてくれる私の家内が、万一、新幹線に影響があって、東京の皆さんにご迷惑をかけるようなことになってはいけないから、16日のうちに上京を、と背中を押してくれて、17日の朝には東京おりました。
朝、早いうちは小雨程度でしたが、徐々にあまあしが強まり、日中は本格的な雨となりました。
そんな中、私は九段下へと向かい、叔父の祀られる靖國神社を参拝いたしました。
雨にもかかわらず、大勢の方がお参りにおいででした。
社頭でしたが拝礼しておりますと、何やら太鼓の音が。奉納太鼓でしたが、聞けば、古武道の流派のいくつかがコラボして、剣舞の奉納とのことでした。
靖國の御祭神もさぞ、お和みのことと思いました。
雨が強くなってきましたので、遊就館の見学をさせていただきました。
奉賛会の会員である私は、入館無料で入らせていただけるのです。
改めて、ご英霊の尊さに思い浸ることができました。
それから一路、渋谷駅を目指し、目的地へ。
目的地近くまで行きますと、何やら賑やかな佇まい。近くの金王八幡神社の秋季大祭とのことで、お神輿の御旅所が設けられておりました。
そこでビックリしたのが、渋谷区渋谷二丁目、青山学院大のすぐそばという立地に、まだまだ江戸文化が残っていたという事実です。
それも結構若い衆が神輿を担いでいたのです。
日本人もまだまだ捨てたものではありませんね。
地域というネットワークが、この大都会でも息づいている。うれしいことです。
もっともっと、先人たちが残した大切なものを、大切に継承しなければなりません。
明日は500人入るホールで90分のお話をいたします。
どうぞ、聞いてくださる方々の、少しでもお幸せにつながるお話ができますやうに。
また、ご報告します。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
忙中有閑
昨夜は大阪で、我が市民球団のリーグ優勝の兆しを、国営放送のサブチャンネルのサービスにより、ドキドキしながら拝見させていただきました。
甲子園で阪神対巨人戦があり、どちらも譲らぬ良い試合。規定引き分けでリーグ優勝は持ち越しとなりました。
さて台風が来ているようです。
明日は広島におりますが、明後日は上京の予定。なんとなくややこしそうですね。
東シナ海で急カーブせずに、鉄の塊を飛ばしてくるところへ行って、飛ばすための機械をなぎ倒してくれたら、世界中の人から
「いよっ、タリム、良くやった‼️」と
高校の世界史に残る、もしかしたら「ノーベル平和賞」をもらえる台風になると思うのですが、誰か伝える方法ご存知ないですか?
すこーし角度を大陸側に変えればヒーローになれる事まちがいなしなんですけどね。
まあそうはいきませんか。
お天気は私らごとき人の勝手で左右されるような、チンケなものではないですからね。
何年前からですか、太陽が明るさや温かさを与え、雨が大地や生きとし生けるもの全てを潤し、風が、くもりを払う。
冬には雪を降らせ、夏の害虫を減らし、夏には私たちの食を支えてくれる。
それも、「休日・代休・欠勤」無しです。
そんなスケールですから…。
だから、もっともっと感謝しなくてはならないのではないでしょうか?
大自然に対してもっと謙虚であるべきと思います。
日本人の多くがお天気に対して、謙虚なそして畏敬の想いを抱くならば、なぎ倒しに行ってくれるかも知れませんよ。
さあ、明日、マツダスタジアムでの胴上げを見て、明後日、勢いを持って関東へ上れたらと思うばかりです。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
天高く
今朝、朝二番の新幹線で大阪へ向かいました。
広島駅でふと空を見上げると、うっすらとした雲、「秋」を感じました。
この間、娘の入学式に行ったと思ったのに、もう上半期が終わろうとしています。
今期の半期が間も無く終了です。
預けていただいている寿命のうち、半年分減ったことになります。
「いつまで生きられるか」そんなこと誰もわかりません。しかし、等しく半年経ったら、半年減っているという事実です。
それを自覚して、後悔しない人生を歩む努力をするのが、本当の「終活」です。
空の雲のたかいのを知って、「食べ物が美味しい季節だな」もう結構ですが、それよりも「空の雲は遠くなったけど、私の箱入りの時は近くなったなぁ」と観じ、一日一日大切にお通りいただきたいと思います。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
ウイグルに親愛なる友
大阪の出張から帰ると、机上にゆうパックがあった。差出人は「ムカイダイス」と。
去る8月6日、第9回目になる8・6平和ミーティングが行われ、今年は百田直樹氏が講師として、リーガロイヤルホテルを会場に開催されたのでありますが、その折、東トルキスタン亡命政府のアフメットジャン・オスマン大統領が来広し、中国のウイグル民族への弾圧や、核実験などについての提言をしてくださったわけですが、その折、私のお寺にお参り下さり、ご昼食を召し上がっていただく誉をいただいたのでしたが、その時の通訳が放送大学非常勤講師のムカイダイス女史でありました。
開封しますとなんと大統領から私に宛てた書状がありました。
ウイグルの文字でしょうか、非才な私にはよくわからないのですが、その書状と日本語訳をしてくださった書状の2つが入ってありました。
特別に接待をしたわけではありません。しかし、ムカイダイス女史を介して約一時間お話をさせていただきましたが、人をこよなく愛するお人柄が伺えたのでありました。私にとってとても価値ある時間をすごさせていただきました。
その大統領から、勿体無いお手紙をいただき、恐悦至極とはこのことであります。
また、ムカイダイスさんからはご著書を同封いただき、ウイグルの詩をこれから読ませていただくご縁をいただきました。
チベットもそうでしょうが、ウイグルも相当な弾圧を受けておられます。
彼の国は長い時間のスパンで物を捉えます。
同化政策はその最たるものでしょう。
私は8月、大統領と対談し、彼が日本人のために訪日してくれたことを強く感じました。
「前車の覆るは後車の戒め」とありますが、彼は自国の現状を訴えるに留まらず、私たちに「大丈夫ですか」と、呼びかけをしてくれたのだと感じました。
どの国であろうと、どの民族であろうと、そこに住まいする人々の、二つの眼から悲しみの水滴が落ちないことが最も大切なことと思います。
世界の人々の悲しみが一つでも少なく済むよう、一人一人が祈りを深めていくべきと思います。
ウイグルに友達が一人できました。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌
こころの温度を1°Cあげよう
もうすでにご承知の方もおいでと思いますが、この度育鵬社の発行、扶桑社の発売で「こころの温度を1°Cあげよう」というエッセイ集が発刊されました。
この本の元は、念法眞教のホームページのほっとエッセイで、様々な場面でのこころのケアができる本です。
生きるという環境は、時に優しく、時に残酷な場合もあります。それはみんなが通る道すがらではありますが、苦しい時にこそ、温かい一言や、優しさが私たちを助けてくれます。
この本は、そんな私たちの日常に寄り添ってくれる本です。
ぜひ、手にとっていつも携行してみてください。
きっとあなたのこころの温度が1°Cあがるとおもいますよ。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌