お坊さんが語る終活

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ブラック部活⁈

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中国新聞朝刊でまた新しい日本語と出逢いました。

「ブラック部活」です。

生徒さんの方ではなく、先生の方の語彙のようです。

クラブ活動の時間が教員の長時間労働という結果をもたらしている、ということだそうです。

文科省は昨年12月、学校での働き方改革について緊急に対策を講じたそうです。

学校が担う業務の適正化や教員の勤務時間に関する意識改革など。部活動についても外部人材の積極的参画などを推進するそうです。

 

とても難しい問題だと思います。

どうすることがベストかはわかりませんが、とりあえず私の時はどうだったかなと思いを巡らせました。

 

私は中学生の時、合唱部に所属していました。

(今は仕事柄、合掌部所属ですが)

毎年のNHK全国学校音楽コンクールへの出場が、大目標で必死に練習していました。

顧問はクラス担任も持ちながら、毎日遅くまで指導をしてくれていました。

夏休みには合宿も計画して下さり、共に汗をかいて時間を過ごして下さいました。

 

あれから四十年、綾小路さんではないですが、それだけ経過した現在でも、あの時受けた愛情に対して、感謝の思いは消えてません。

 

先生と呼ばれる方の立場は、今も昔も変わらない。何が変わってしまったのでしょう。

先生の個人の持つ権利(あまり使いたくない言葉ですが、便宜上)がある事も当然だと思います。家庭もあり、仕事と家庭のバランスを取らなくてはならない事も事実です。

でもそれも、昔も一緒じゃないでしょうか?

 

ただ、もしかして少し違うのは、先生と生徒やその家族との関わり方、関わりの度合い、このあたりが少し違っているのかもしれません。

今、うちには中学生の子供がいますが、小学生の頃から、住所や電話番号が載ったクラス名簿は存在していません。自治体によって違うのかもしれませんが、この個人情報を共有することの責任、覚悟が、当時は当然のこととして求められていたのだと思います。

だから、先生、生徒、親、この三者がトライアングルになって授業もクラブ活動も、思いの中でも支えることが出来たのだと思います。

 

本件も全ての先生が同じ考え方であるとは思っていません。しかし、未成熟な青少年を社会性を持つ成人に育むために、学校やクラブ活動の役割は大きいと思います。その意味において、強引かもしれませんが、先生には「先生」であってもらいたいと思います。

 

いずれにせよ、難しい社会構造になっていますね。

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌