お坊さんが語る終活

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シブ5時女子会 お墓

たまたまテレビをつけたら、NHKのシブ5時という番組で、お墓についてのテーマでしたので、眺めておりました。

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男性キャスターに4人のご婦人方が、自分のお墓について、各自の希望を述べていました。

 

お一人はペットと同じお墓に。

二人目は姑と主人とは一緒に入りたくないと。

三人目は納骨堂タイプのお墓を希望。

もう一人はご主人が勝手に墓を決めて来たことに、憤りを感じている。と言った感じでした。

 

皆さんご自分の希望を述べておられましたが、あまり、後の方のことは考えていない様子でした。

 

「昔は嫁いだら姓がかわり、死後の墓もその家の墓に入るしかない、要は選択肢がなかった。でも今は時代が変わって、選択肢が選べるようになった。」とおっしゃっておられました。

 

また「室内型の納骨堂はお参りするのに、天候に左右されないから、いいですね。」というお話もありました。

 

この他色々思い思いのトークをしておられ、最終的に「男性にはわからない」という結論でした。

この方達のトークが全てでは無いと思いますが、しかし少なくない世相を反映する意見なのかもしれません。50代以上、最高齢79歳の方でしたが、「家族」の持つ意味をとっても希薄に捉えておられるようでした。

 

個人主体で話が展開される一方、お参りしてもらうという設定も頭の片隅に残っている。一体どっちなんですか?

 

わたしの感覚ですが、「散骨」などは体裁の良い「廃棄処分」ではないかと思います。

「後の人が管理が大変だから、散骨に」とか。

こんなこと言い始めたら、もう家族とか、家とか全く不要となります。

 

どうして「子供に迷惑かけたくない」とかいうんでしょう。

十月十日、お腹に宿して、青竹を握り割るほどの痛みを伴って出産し、何石とも言われる乳を与え、熱を出せば寝ずに看病し、自分はボロでも子には錦を。そんな思いで愛を注いで育てた子供では無いのでしょうか?

そうならば、胸を張って、堂々と子供の厄介になったらいいじゃないですか。

いいカッコ言うのも程々にしてほしいです。

 

「迷惑をかけたくない」善なる思いとも思います。でも、人は互いに迷惑を掛けあいながら生きているのでは無いですか?

 

人は最終的に、誰かに肉体の処理を委ねるしかありません。番組を見ていますと、最後の自分の肉体の処理を、自分でできると思っているのでは無いかとも思いました。

 

選べる時代がどうこうではなく、「世話をかけるけど、頼むね」これを素直に言える家族関係を築くことのみが、不安なき人生ということでは無いかと思っております。

なんか個人、個人と、虚しい日本になっています。もっと落ち着いて考えてもらいたいものです。

愚痴っぽくなりましたかね。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌