終活の行き着かねばならないもの
今日、大阪の本山に来る際、タクシーの運転手さんと少しお話をしました。
その運転手さんとは、よく出逢う方でもう10回以上乗せてもらっています。
世間話から世の中がおかしくなっている的な話となり、その原因はやはり家庭教育にあるとの共通の見解となりました。
そしてその延長として、憲法を変えなくてはならないという話になりました。
みなさんは今の日本国憲法が、アメリカ人によって作られたものであることをご存知でしょうか?
詳細に説明することは省きますが、マッカーサーがわずか1週間で作らせたものです。
その中身は「個人主義」が中心です。
一人ひとりの命はたしかに、大切であり、尊重されねばなりません。しかし、「家」「公」と「個人」とはどちらに重きが置かれるべきでしょうか?
今の憲法はあくまで「個人」が尊重されているのです。
もっと「家」や「公」に重きを置けば、少なくとも少子化の波は寄せてこなかったはずです。
経済偏重、個人偏重の考え方が、さまざまなネットワークを解体してきたのです。
私が今進めている終活の考え方は、このネットワークの再生に他なりません。
まずは「家」というネットワークを名実共に再構築することであります。
そしてそのためには、やはり憲法を改正しないというダメです。
国会では今後おそらく改正案が可決されるでしょう、しかし国民投票でひっくりかえれば何にもなりません。
終活とは安心した生活を求める生き方です。
全ての日本人が安心して生活するには、憲法改正が必要であると私は考えます。
今後、少しずつそのあたりのこともブログで触れていきたいと思います。
真面目に考えましょう。自分の行く先の棲家のことを。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌