お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

悲しみが減らない!

福岡でショッキングがな事件が発生しました。

中学3年の兄が中学1年の弟を、キリで刺す。

幸い命に別状発生ない、とのことですが、

昨今あまりにも悲しみの度合いが大きすぎる事件が多く発生してはいないでしょうか?

 

もっともベーシックなこととして、

「何人にも危害を加えない。肉体的にも精神的にも」

 

これが、最低限、人が社会生活をする上でなければならない約束だと思います。

しかし、毎日毎日、これを逸脱する出来事が報道の材料となっています。

 

福井では、担任の先生の厳しい指導が起因して中学2年生の生徒さんが自殺。指導の問題の是非は言及を控えますが、悲しすぎます。

 

何に問題の原点があるのでしょうか?

先日は仕事をしない主人が奥さんと子供たちを刺殺して、家に火をつける。こんなこともありました。悲しすぎます。

 

よく「社会が、悪い」と言いますが、「社会」って誰が作っているのですか?

「社会」には、その方は介在していないのでしょうか?

 

私達はうっかりすると「〇〇がわるい」と自分対他者で対峙構造を作ります。しかし、そんな事何の役にも立ちません。

社会を構成しているのは紛れもなく自分であり、社会を良くして行くのは紛れも無く自分である、という自覚がなければことは変わらないと思います。

 

私の考えとしては、やはり家族の在り方、かかわり方であると考え、その基礎は文化によって支えられていると思います。

 

戦後72年、日本は高度な成長を遂げ、今や機械、医療などの面で、世界中の大国に引けを取らない素晴らしい国になりました。

しかし、その一方で先述の如き悲しみがどんどん増えています。

 

戦後、GHQから与えられたのが「日本国憲法」です。この憲法におりこまれた基盤に今の日本社会は存在しています。

憲法はその国の「こころ、おもい」を表すものでなくてはなりません。

「権利」「個人」「平和」これらのキーワードで72年作り上げられた結果の一部が、今起きている「悲しみ」だと思います。

 

もう、気がつかないといけない。

 

少しずつなどという、悠長なことは言えないところまで来ています。

近く、選挙もありますが、投票者は候補者に何をしてもらいたいかを考え、この国の人の悲しみを減らすことのできる人や政党を選ぶべきです。

とにかく、みんな言葉に出して言いましょう。

「この国の悲しみを減らすことを考えましょう」と。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。