和宗 総本山 四天王寺
今から1400年ほど前、時の推古天皇を摂政として支え、まつりごとに仏教的な「和」の思想を取り入れた聖徳太子様が開かれた官寺、それが浪速のソールスポット四天王寺。
今日は関西宗教懇話会の外部研修ということで、参加させていただきました。
関西宗教懇話会とは、宗教の垣根を外し、日ノ本の国の弥栄を願い、正しい歴史認識のもと、正常な人々の暮らしを担保するため、活動をしている、いわば宗教者による世直し隊といった感じの団体です。ともあれ、その団体の研修に参加して来ました。
研修では、会の代表を務める、京都毘沙門堂門跡ご門主の叡南覚範師を御導師に、重要文化財の五智光院で勤行を勤め、その後、森田管長猊下より聖徳太子様の描かれた世界観についての法話を拝聴。全員が興味深く耳を傾けておられました。
その後、英霊堂、六時礼讃堂をご説明いただきました。
英霊堂は、以前は鐘楼、鐘撞き堂。
日本最大クラスの梵鐘であったが、先の大戦の金属供出により取り外され、その後、ご英霊を供養するためのお堂に生まれ変わったとのこと。
六時礼讃堂の前にはこれまた重要文化財の石舞台。毎年4月の22日に聖徳太子様の供養として、聖霊会が行われ、石舞台では舞楽が舞われらという。その両はしには亀の池があり、数えきれない亀が甲羅干しをしていました。
昼を挟んで、聖徳太子様を祀る太子殿、守屋祠、絵堂、金堂、仁王門、そして西門と見学し、研修を結びました。
四天王寺の僧侶の方々の懇切丁寧なご説明により、普段近くても中々行かない歴史のあるお寺をとても身近に感じさせていただかことができました。お世話下さった皆様にはほんと感謝です。
四天王寺は、「四箇院」のお寺。
人づくりのため教育を施す敬田院。
患う人に薬を与える施薬院。
医療機関としての療病院。
いずれも、現代社会の中で四天王寺様はそれを具現化しておられます。
聖徳太子様が構想されたことを1400年経つ今日、形になさっていることは、すごいことと思いました。
「人は一代、名は末代」とよく言いますが、名が残ることは世間にも多々あることです。
しかし、形としてましてや理念が生かされていることには、本当に先人のご苦労と決心を伺うことができると思います。
それは何も大きな単位や組織の話ではありません。一人一人の家庭の中で、その理念が継承され、その理念を形にすべく、正しいことは正しいとみずから伝えることが、始まりと思います。
家族に伝えられる理念、ちゃんとありますか。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌