お坊さんが語る終活

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サイパン島便り2

今朝未明、私達と同便の仁川経由で、本隊が到着。当初、その時間帯は他社便の着陸が多く、最悪の場合、ホテルに入るのが6時過ぎとの予想もありましたが、着陸は2番目も入国は1番始めであったらしく、5:15にはホテルに到着していただくことができました。

 

若干の仮眠をしていただき、10:45出発でまずはバンザイクリフでの清掃ボランティアを実施、次に14日の法要会場となる日本国政府が建てた慰霊碑のあるラストコマンドポストの清掃ボランティアを強い日差しの中、全員が心を込めて汗を流してくださいました。

どんなゴミが1番多いか、それはタバコの吸い殻でした。地元の方曰く、C国の観光客のものが最も多いとのことでした。f:id:obousansk:20170513220711j:imagef:id:obousansk:20170513220720j:image

午後は戦績の巡拝です。

ます、ラストコマンドポストの崖の上にある、スーサイドクリフ。

スーサイドとは自殺と訳し、バンザイ同様、米兵に追われた方々が、身を投じられた崖で読経回向を勤めました。

 

次は米軍の管理下にあるアメリカンメモリアルパーク内の現地チャモロ人の方の慰霊碑です。

当然現地の方も戦火に巻き込まれております。

 

最後にススペにある戦没日本人の碑です。

この碑は昭和49年、現在の中部太平洋慰霊碑が建立されるまで、名の通り、戦没日本人を慰霊する碑として、多くの日本人が手を合わせたところであります。

 

巡拝を終え、明日の慰霊法要の心づくりとして、現地、パシフィックイーグル社の社長であり、教団の海外特別顧問を兼務する、ウィリー松本氏よりサイパンの歴史や今について約1時間の講演を拝聴し、本日の日程を終えました。

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かつて、日本人が自分たちとおなじ教室で現地チャモロの人を学ばせ、一大サトウキビ産業を興し、まさに日本国を護る砦としてこの南の島があったことを、どれだけの日本人が知っているだろうか。

 

「知らせなくてはいけない」

私の心には只々、その想いが湧き上がる今日でありました。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌