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お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

サイパン島へ向けて

5月10日(水)17:15 OZ113 関西空港発仁川空港行きにフライト。

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仁川空港で3時間の乗り継ぎを経て、翌、現地時間午前3時20分、私達慰霊法要先発は、サイパン空港に到着しました。

宿泊のお世話をいただくガラパン地区のフィエスタホテルに4:15到着、ベッドについたのは5:30でした。

 

その朝、8:30から朝食、10:30からいよいよ先発の業務を遂行致しました。

 

まずは教団慰霊塔のあるバンザイクリフ

島の最北端にあり、日本人が母国に想いをつのらせながら、身を投じた絶壁です。

 

一行は慰霊塔を清掃し、そのあと、最後の司令壕があったラストコマンドポスト。ここには背後に米軍艦砲射撃のあとを残す切り立った崖をいただく日本国が建立した中部太平洋慰霊碑があり、一行は14日当日の設営確認を行った。

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それから、地獄谷と呼ばれる夜戦病院跡の手前で読経回向をし、極楽谷と呼ばれる夜戦病院跡へも登り、読経回向をした。

 

わたしは昨年に続いて二度目になるが、双方夜戦病院と言っても、辛うじて雨露がしのげる、沖縄で言うガマ、すなわち山の中腹のくびれであります。

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最北端のバンザイまで行けない負傷兵は、みなそこで自害したと言うことです。

地獄谷、極楽谷の名の違いは、地獄谷に比べて、雨季になると、沢ができ、水分の補給ができたから極楽谷との事でした。

極楽谷には天然の柑橘類がたわわに実り、当時の方々も口にされたであろうかと思いつつ、我々もそれを口に致しました。

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襲いくる米兵に怯えながら、臨戦できないジレンマとなら戦いの中、その想いを測るとき、言葉が出て来ません。

 

サイパン島は現在、韓国からのお客さんが多いようです。次か中国、日本はかなりすくないとのことでした。

 

72年前、日本統治であったこの島を命が けで護ろうとされた方々が居たことを、多くの日本人は知らない。

若い世代の人にこそ、事実を知って想いを寄せてもらいたい。

 

明日は二隊にわかれ、ススペにある日本人墓地を清掃。もう一団は知事、日本国領事、サイパン市、そして観光局への表敬訪問がございます。サイパン、第1日目の報告でした。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。