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和尚と考える終活・葬儀と宗教(モバイル金剛寺)

和尚と考える終活31:葬儀とは【6】~葬儀と宗教(中編)

宗教による葬儀以外は葬儀と呼べない、と和尚は思っているのですが、もう少しそこのところ、深堀りしますね。

そもそも宗教には「目に見えない存在」がまさに存在しています。そして、その存在には、我々が持ちえないパワーというかエネルギーがある、と私たちは認識しているのではないでしょうか。葬儀とは、いわば、そのエネルギーに故人の魂の昇華をゆだねる、ということだと思います。 

仏教では仏様に「往生」を願い、神道では神様に「神あがり」といったことを頼む、ということ。自分自身の力では到底かなわないことを認識しつつ、それを神仏に頼み、ゆだねるということであります。

日本人の宗教観は、神道にその起源を見ることができます。すなわち、大自然を神とあがめる思想です。山には山の、川には川の、海には海の、それぞれの自然の存在に「神」の存在を認め、神々の許しを請いながら、自分たちの生活を営んできたのが日本人であります。

人間の力ではどうにもこうにもできないこと、それ自体が「神」という存在であり、死後、その魂の行方についても、我々の力の及ばざる領域であることを認識して来たのです。ですから葬儀は、「亡き人の魂を目に見えざる存在にゆだね、苦しくないところへ連れて行ってもらう」という願いが形になったものと言えますよね。

 

では、宗教によらない葬儀「自由葬」「直葬(じきそう)」はどうでしょう。生者と故人の別れは成立するでしょうが、故人の魂の昇華、いわゆる「往生」「神あがり」は求められないだろう、と和尚は思っています。これらの葬儀は、元来日本人が持つ思想的感性に釣り合わないので、葬儀ではなく「告別式」ということになりますね。