責
この道に入り、以前、人に聞かせるほどではありませんが、篳篥(ひちりき)という雅楽で使われる楽器を少し嗜ませていただきました。
平調、盤渉、壱越などの調子があり、譜面に書かれたカナを歌い、メロディーを覚えて奏楽するものですが、この篳篥はいわゆるリード楽器であります。
クラリネット、サキソフォーンなどリードを震わせて音を出すものです。
東儀秀樹さんがふいているやつ、と言ったほうが早いですかな。
さあ、篳篥のリードのことを「舌」と申しますが、この舌の開き具合が音に強く影響します。
その開き具合を調整するものが「責(せめ)」と言います。
この責、楽器を使わない時もはめておかねばなりません。使うときの音だけでなく、使わないときに、使えるスタンバイをさせる働きも持っているのです。
責があることにより、篳篥が篳篥としての働きができます。もしこの責がなかったら、あの幻想的な音色は出てこないのであります。
責は自らを縛るものと捉えることもありますが、その縛りこそ、自分が自分として成り立つ、大切な要なのかもしれません。
自らを責を持ちましょう。