いじめ
昨日の朝刊に、「いじめ最多54万件」との記事が掲載されていた。あくまで認知件数であり、水面下の存在を考えると、全体の増減によるものか、発覚の増減によるものかはわからないだろうと思う。
ただ増減の如何に関わらず、常にいじめている子供があり、またいじめられている子供があるという事実は存在している。
先日神戸での教員間のいじめが発覚し、マスコミを席巻しているが、子供だけでないかつて子供であった大人までもが、いじめ環境を呈している。
いじめの報道があるたび、皆さんはきっと心を痛め、可哀想にとか、なんでそんなことするんだろう、などの思いを持たれるのではないでしょうか?
そうですよね、いわゆる「信じられない」という感情だろうと思います。
でも、深呼吸して、改めてよく考えてみましょう。
こんな社会に誰がした。
特定の人物の名を挙げることは出来ない、でもいま社会を構成している私たちが、こんな社会にした、という事実を認識せねばならない。
他人事、対岸の火事、そんなの関係ねえ。
そう思う人は、悲しいとか、信じられないなどのコメントを出すべきではない。
悲しみを感じたなら、その悲しみを繰り返さない努力をすべきではないか。
信じられないなら、信じられる環境にするにはどうしたら良いかを思考すべきではないか。
こうしている最中も、自死を考える子供達があるのだと思う。
みんなが元気に、笑顔で、助け合いながら生活できる社会を作る努力をせねば、生かされている大義が果たせない。
人には優しく親切に。困っている人には声をかけて、出来ることなら手助けしてあげる。
親や先祖に感謝する生活を、子供に見せる。
家族が慈しみを互いに与え合う。
こんな生き方からやっていかないと、いじめは減らないと思う。
でもこのいじめルーツはやはり「日⚫️国⚫️法」でありましょう。と、私は思う。