時間といのち
人はいつも過ちを繰り返すいきものだと思います。
しかし、それを過ちと気づいた時から、二度としないようにしようと、思いをめぐらすことができるのも人だと思います。
過ちとはその行為により、他者に迷惑をかけたり、損害を与えたりすることではないでしょうか。
皆さんは他者に迷惑をかけたことありませんか?
高熱が出て会社を休んで。これってきっと他者に迷惑をかけていますよね。そんな時どう言います?
「すみません」「申し訳ありません」ですよね。
すみませんとは、済まないことです。
申し訳ないとは正しい理由がないということになります。
過ちとは済まないこと、正しい理由がないことをすることです。
済まないのですから、未決なんです。残ってるんですね。正しい理由がないんですから、間違ってるんです。
間違っていることが残っている状態なんですね。
じゃどうします?
どこが間違っているのかをまずは検証しなくてはなりません。その間違っているところを直す事しか、過ちの始末はできないのであります。
さあ検証出来ますか?しようと思えば出来ます。でも邪魔するものがあります。それが時間です。
いえ、「時間がある」という頼りない概念です。
よく終活で、生前の取り組みとして不用品の整理をされようと考える人がいます。ですがほとんどの場合うまくいかない、進まないんです。この理由こそ、「時間がある」との錯覚なのであります。
私たちが今持っているというか、費やしている時間はなんでしょうか?簡単です、「自分のいのち」であります。いのちの時間を知る人は誰もいない、なのに時間があると錯覚しているのです。
過ちと気づいたならば、すぐにそれを正すことに意識を持たねば、本当に済まずに終わってしまいます。
過ちは誰にでもあります。でもその過ちに気づいたにもかかわらず、それを直す努力をしないことこそ、本当の過ちであると思います。
小さなことでも気づいたことは直していきましょうね。