祟り⑨
いよいよ完結!にしたいと思って書き始めます。
前回は「なんか」の話でした。
でも改めて日本人は目に見えない存在を認めて生きていることが確認できました。
皆さん地獄って知ってますか?
えっ、毎日?我が家は修羅地獄?
まあそんなかたは私のところへ相談に来て下さいよ。早いうちに。
まあ、知ってるというか、聞いたことあるけど、見たこと、行ったことない。ですよね。
見たことも行ったこともないから、無いって言えますか?言えないですよね。
仏教では地獄、極楽といったことを説きます。
一般には私達が死後、行くところと言われますが、行ってきた記憶がある方がないもので、ある、ないの断定は出来ないわけですね。
あったらどうする!
現世に生きる我々は、常に心と言葉と行いによって業をつくると言われます。
善き業、悪しき業、両方あります。
で、簡単に解釈するとこの業の善と悪と、天秤にかけて、善多ければ極楽近く、悪多ければ地獄近しという感じなんです。
で、行くときは?そう死後でしたね。
死後とは死んだ後、生きてない状態、つまり生命の維持活動が停止した状態。なので、ここから先は善も悪も業をつくることは無いのです。
ということは、まさに取り返しなしであります。
戻れませーん!
さあそんなとき、地獄が良いですか極楽が良いですか、その行き先。やはり極楽ですかな?
なれば善なる業を増やし、悪しき業を減らす努力をせねばならないですね。
「なんか」って心配しなくても良い生き方を選ばれたらいかがでしょう。
祟り。作るのは実はあなた自身です。
善き業を心がけて生きる人は祟りの心配はありません。でも悪しき業をつくることで、祟りのリスクは高まります。
奢り高ぶることなく、すべてに感謝して、人に優しく愛を込めて。常に謙虚さを忘れず、目に見えざる存在に対し、畏敬の思いを持つならば、祟りとは無縁の生活が出来るでしょう。
祟り、ありますよ。でもすべてその種は自らが蒔いたものであることを、自覚して下さい。
あー、何とか完結できました。
でもありがたいことに、気がつけば陽数の極、⑨で結ぶことができました。
これからもお坊さんが語る終活ブログ、ご愛顧のほどよろしくお願い致します。