あらためて「家族」
国内の少子化、高齢化はもう耳慣れたキーワードでありましょう。耳慣れたキーワードではありますが、その危機感を身近に感じる方は少ないのかもしれません。
最近、色々考えます。
「何が今の日本を作ったのだろうか?」と。
勿論、大きなところでは日本国憲法に端を発していると思っておりますが、庶民レベルで何が変わったのであろうかと。
そしてまた最近、一つの仮定的結論を見つけました。やはり、という感じなんですが、
「家族の崩壊」です。
何によって崩壊したのか、根底は日本国憲法でしょう。しかし、もっと身近な部分では、「豊かさ」なのかなと思います。
「豊かさ」いいじゃないですか。と思うんです私も、でもこの豊かさの質が違っていたんではないかと思うんです。
難しい言葉でいえば、価値観の変容かもしれません。
よく「モノで栄えて、心で滅ぶ」などという言葉を聞いてきましたが、やはり経済偏重の流れが、家族を崩壊させる原資になっていたと言えるのではと思います。
私の論点の詳細は活字には仕切れませんが、昨今の世の中の事象、流れを見るとそう感じます。
これから日本人は「さびしい最期」を遂げる人だらけになります。このままだと。
それに歯止めをかけることができるのは、きっと宗教を基盤にしたコミュニティなんだろうと思います。
さびしさを感じていない現役世代のあなた、さびしさを感じないために必要なものは「時」であります。
「時」の使い方の如何によって、最期の自分が決まると言えます。
「良い仕舞いかた」老若問わず、学びに来て下さい。