お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

「食」より「愛」を

以前から心配している「子ども食堂

最近ことに肯定視されているようです。

f:id:obousansk:20181117182601j:image

私は今から9年前、当時広島市が肝いりで制定を目指していた「子ども権利条例」の制定反対活動を、良識ある有志とともに行い、市長選挙の切り替えにより、制定を阻止することができたのでありました。

 

そもそもこの条例は国連が、人身売買がまかり通る国の子供達を守る意味で、「子供の権利条約」を採択し、それを全く該当しない日本が批准したことに由来します。

 

日本で最も早くこの権利条例を制定したのは川崎市であります。

学ぶか学ばないか選択する権利

休息する権利

制服を着るかどうか選択する権利

 

未成熟な成長期の青少年に、義務や責任を教えず、権利主張を是として変な日本人を作ってしまうことが懸念される条例案でありました。

 

今回の子ども食堂、全く善意の任意からスタートしたものであると認識していますが、だからこそ厄介極まりないと感じています。

 

子供達の学力アップは当然望ましいことです。しかし、それ以前に「早寝、早起き、朝ごはん」人として当たり前の生活を整えることが必要ではないでしょうか。

 

その基軸はやはり「家庭」です。

家庭という基軸、基盤があってこそ、人として立って行けると思います。

 

砂地に基礎を打っても、時間が経てば傾いてきます。これと同じです。

朝ごはんさえ食べれば、学力が向上する。そんな筈はありません。

以前も書いたのですが、本当に可哀想な状況の子もありましょう。しかし、精査もせず誰も彼も、これは明らかに違っています。

 

「エサさえ与えれば」

人は犬や猫とは違います。

人が成長するには「愛」が不可欠です。

いま急がれることは、愛を与えられない大人達に、愛を教えることです。

愛がない社会はいつまで経っても、暗くなる社会です。

 

全てに愛を持って接することを、多くの大人が学ばねばならない、そして学ぶだけではなくそれを体現することこそ、社会を良くして行ける原動力となるに違いないと、私は考えます。

 

子ども食堂、きっとこの国を蝕む一因となってしまいます。皆さんも考えてみてください。