お坊さんが語る終活

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大東亜戦争戦没者慰霊法要

今日、お寺では大東亜戦争戦没者慰霊法要が営まれ、先の大戦で散華されたご英霊に感謝の誠を捧げさせていただきました。

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この法要は信者さんからの要請により、12年前から毎年8月の第三日曜日に勤めさせていただいております。

 

終戦の日には大阪の総本山で慰霊法要を執り行いますが、広島から参拝もなかなか叶わず、心ある方達からの希望で、勤めております。

 

現代の学校ではいわゆる自虐史観が専らとなっているようですが、日本が開戦に踏み切らねばならなかった経緯こそ、公教育の場で教えてあげて欲しいと思います。

口を開けば、侵略戦争、強制連行、そんなキーワードしか聞こえて来ませんが、要は兵糧攻めにあったこの国が、自存のために踏み切らねばならなかったのであり、決して欧米がアジアの諸国を植民地支配し、搾取を繰り返した歴史とは明らかに違うのであります。

 

「死んだら靖國で会おう」

この言葉の意味するものを皆さんはどう捉えますか?

私は宗教に関わるものです。ですから当然、魂という存在を信じます。そうあった時、前述の言葉は彼らの魂の行き場に関わる言葉であります。しかしこの国はWG IPの施策の下、戦勝国に押し付けられた「平和憲法」という偽善法の下、陛下はおろか、総理大臣までもが彼らの鎮まる御社にぬかずく事が許されないのであります。

 

終戦末期、特攻が組まれたことは誰もが知っています。作戦としての是非は別として、二十歳に満たない彼らが、気高い気概を持って散華したことは紛れも無い事実ではないですか?

もし、あなたのご子息が国家のために命を捧げて、そのご子息が侵略戦争の急先鋒であったかの如き評を下されたらいかに思いますか?

 

誠に悲しいかな、この国の病巣はかなり蔓延してしまっているとしかいいようが無い。

 

彼らが将来の我々に何を描いたのか、どんな人生を送って欲しいと思っていたのか、せめて、せめてこの月には、九段まで行かなくとも、思いを馳せてあげて欲しいと思います。

 

彼らの思いに恥じないこの国を、早く取り戻さねばならないと、私は考えます。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌