「いたみ」
世の中を見まわしますと、本当、嘆かわしいことがたくさんあります。
どうしてこんなに悲しみを伴うことが、世を覆ってしまっているのか。
ひとつの原因に「いたみ」の薄れがあるのではないかと思います。
「いたみ」
最もわかりやすそうなのは、皮膚感覚などの肉体的苦痛を伴ういたみでしょうね。
叩かれると痛い。つねられると痛い。引っ張られると痛い。わかりやすいですね。
でも、叩かれたことのない人は、痛いがわからない。つねられたことのない人も痛いがわからない。ですよね。
このほかにも、自分が痛みを感じたことは、誰もが同じく痛い、ということくらいは分かると思うのです。
でも、昨今は学校ではイジメが常態化し、体育会系では恫喝が常態化している。単に一例にすぎませんが、こういったことがそこら辺にたくさん転がっています。
何故ですか?
痛い感覚は、心身共にみんながもっているでしょう。
でもそのことが、相手へのいたみとして共感できなくなっている。
いたみということに対して、何も思わなくなってきているように思います。
どこからズレが始まったんでしょう。
犯罪でもそうです。
勿論加害者に非がありますが、被害者にはいたみが、そして加害者の家族や友人にもいたみが生じます。
イジメをする人、犯罪を犯す人は自分の身近な人さえも愛せなくなってしまっているのでしょうか。
でもそう考えますと、やはり愛が不足しているのでしょうね。
もっともっと愛さねばなりません。
愛する事を惜しまずに。愛する稽古をさえ、して行きましょう。
愛が満ちる時、いたみに対する感覚は回復される筈です。
愛は人の道です。
この世を良くするため、愛をたくさん植えて行きましょう。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌