形無き財産こそ
日大と関学のアメフトの一件は、誰が見ても結論の見える展開になって参りました。
最高学府という大学で、一体何が教えられているのでしょう。
表に見えているのはもしかして、氷山の一角かもしれませんね。
前にも触れましたが、大学や、部活動の中だけのことではありません。
日本の社会で常に起きている事かもしれませんね。
「連鎖」という言葉があります。
「風が吹けば桶屋が儲かる」昔の人はよく言ったものですね。
この連鎖、我々はタイムリーな部分だけしか、当てはめないような気がしますが、長期的連鎖もまた然りではないでしょうか。
仏教は因果を説きます。(最近では因果を否定する仏教教団があるそうですが、意味がわかりません)
物事には必ず原因があって、そこに様々な要素が相まって、結果が生じる。これが「因果」であります。
ごくごく普通のこと。
最近、公職ににつかれる方の犯罪が目につきます。確かに昔に比べていろんなことが、厳格になっているのかもしれませんが、市長がセクハラで辞職、奈良の歴史あるお寺の管長さんが同じくセクハラで辞職、少し前は警察官が同僚を射殺、あげればきりがないかもしれません。
私はこう思います。
人は生まれてからずっと、育ててもらう環境、育つ環境。そして出逢う人や事象などによって、人格形成が成される。だとすれば、犯罪を犯す人は、
どこかの部分で誤った育ち方、出逢い方をしてしまった人、ではないでしょうか。
出逢いには喜怒哀楽がついて回ります。それはみんな一緒です。しかし、その出逢いによって、学び成長するのか、学ばず成長しないのかは、やはり育つ環境に原因があり、今の世はひと世代前の育て方に問題の元凶が少なからずあるのではないかと思います。
勿論全ての人ではありません。
でも「連鎖」すなわち「因果」から観ずるに、言い訳が通らない事実なのです。
終活の勉強をする中で、本当に人は、人との関わりをこそ大切にしなければならないのに、それがどんどんできづらい社会になっている事を痛感します。
もっと、目に見えない大きな存在を意識する教育が行われなければならないと思います。
「そんなことしたら、バチが当たるよ!」
皆さん最近聞かれましたか?
でもこの思想こそ、人を正しく教導する大切な理念であると、私は思います。
親が子に何を残すのか?
形無き財産こそ、本当の財産ではないでしょうか。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌