お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

第三者ではいけない。

最近、耳と頭が麻痺してしまいそうになるくらい、痛ましい事件が次々起きている。

 

新潟で女子児童が23歳の男に連れ去られ、殺害され、列車事故に見せかけるため、線路内に遺棄された。

まだ、動機などについては明らかになっていませんが、何らかの性癖によることが想像されます。

「犯人が捕まっても、娘は帰って来ません」

親御さんの心中はとても察するに、あたり得ません。娘さんのご冥福をお祈りいたします。

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私達は最近、日常的に理解不能な犯罪ばかりを耳にします。しかし時が経ちますと忘れてしまいます。

今回の事件でも、今感じている憤りや、怒り、悲しみは、程なく感じられなくなってしまうのです。しかし、当事者は違います。娘さんを奪われたご両親は死ぬまで、このつらさを感じて行かねばならないのです。

また一方で、犯人の家族もまた、もって行き場のない苦しみを背負って行かねばならないのです。

 

私にも幸い子供が二人おります。男の子と女の子です。

僧侶の端くれの私がこんな事を言うのはどうかとも思いますが、私にとっての一番の恐怖は、多分、子供を失う事でありましょう。

想像しただけでも、おかしくなりそうです。

 

先程のニュース番組で、通学路の見守りボランティアが、高齢化しているのが問題だとコメントしていました。

正直、何言ってんだって感じです。

通学路の見守りの要らない社会は作れないのでしょうか?

 

交通に関して、ルールを守らせる意味でのサポートは有効であり、教育としても必要です。しかし、変な人から守るための見守り、それが高齢化で少なくなるのが問題だという発想の方向性が違うと思うのです。

 

何が犯罪者を作るのか?

なぜ犯罪者になったのか?

犯罪者に不足しているものは何か?

 

本気でみんなが、当事者としての意識をできる限り持ち、犯罪者を作らないための方法を究明しなければ、世の中は悪化の一途を辿って行くでしょう。

 

皆さんの身内が加害者になることもあります。

事故など過失の場合、状況によって仕方がないこともありますが、事件の場合、悩んでも悩みきれない、悔やんでも悔やみきれない。こんな事になるでしょう。

誰一人、犯罪を犯す人のいない国を、一人一人が当事者として、真剣に取り組んでいきたいものであります。

人とは何のためにこの世に生み出していただいているのか、何をしなければならないのか、これを知ってもらうしかないと思います。

先ずは、どんなことにでも感謝できる生き方の訓練が必要です。

幸せな社会を作るために、小さなありがとうをたくさん積み重ねてまいりましょう。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌