お坊さんが語る終活

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サイパン戦没者の慰霊

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昨年同時期にアップしたブログをすこし手を加えてアップいたします。

 

念法眞教では先の大戦尊い命を、私たちのために捧げてくださったご英霊をはじめ、数多の戦没者の御霊に、毎年慰霊の法要をさせていただいておりますが、国内では原爆投下があった広島、長崎。国内唯一の本土決戦地、沖縄。そして海外では当時の絶対国防圏であったサイパン島。法要の歴史は広島が最も長く、今年で33回目をむかえ、7月15日には広島平和公園の原爆供養塔前にて、全国の名水を供え慰霊法要が行われます。

そして今年度最初の法要が、第13回サイパン戦没殉難者慰霊法要であり、きたる5月23日現地で執行されます。

 

サイパンは北緯15°15、東経145°45、日本の真南に位置する北マリアナ諸島の島です。

スペイン領、ドイツ領を経て、第1次世界大戦後1920年大正9年パリ講和会議から日本が委任統治領として管理し、南洋庁がおかれました。

福島県出身の松江春次は南洋興発を起業し、一大製糖産業をサイパンにもたらし、島内全域にわたっての繁栄がありました。

 

大東亜戦争末期、1944年昭和19年6月15日から7月9日まで、米国との攻防があり、陥落をします。

日本から約2400キロ離れたこの島は、当時絶対国防圏と呼ばれ、この島の陥落は先の大戦の敗戦に大きな影響を与えたのでした。

すなわちB29は片道3000キロを飛行することができ、この島の陥落は当時研究開発された、原子爆弾を日本に投下するための拠点として、米国はなんとしても手に入れたい場所でもあったのであります。

テニアン島サイパンの隣島であることから、そのことはよく理解できます。

 

海外での激戦地はサイパンだけではありません。しかし、日本の最後の砦としての要は、サイパンをおいて他は無いと思います。

平成17年、上皇上皇后両陛下は初の海外慰霊地としてサイパン行幸啓下さいました。その翌年から現地での慰霊法要をさせていただいております。

私は4年前からこの法要執行の一員として、関わらせていただくようになりました。

明日19日、関西空港から仁川空港経由のアシアナ便で先発入りし、慰霊参拝の受け入れを致します。

 

サイパンは日本からのダイレクトフライトがありません。企業は利益を優先します。当たり前のことです。スカイマークが定期便を就航するとの話がありますが、具体的にはなっていません。

一時期サイパンは南の楽園として脚光を浴びました。ですがJALが撤退し、日本人が行かない状況が続くと、中国、韓国が幅をきかせ今や「チャイパン」と異名を持つくらいであります。 

しかし忘れてはならないことが、日本人としてあります。それはかつてこの日本本土を守らんとして、かの南の島でたったひとつしかない命をかけて、戦ってくれた人々がいることを。

島全体が墓。これはサイパンでさまざまなコーディネートをしてくださっておられる、松本宇位里さんの言葉です。日本人の多くがこのことを知り、手を合わせなければならない島がサイパンなのです。

 

毎年行く私たち一行を、心待ちにしておられる御霊がおられることを信じて、感謝のまことを捧げて参りたく思います。

明日から遺漏なきよう準備致します。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌