お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

もうじき仏生会。

今年は桜の開花が早く、花まつりの頃にはソメイヨシノは葉桜になっているかも知れません。

 

4月8日はお釈迦様がお生まれになった日として、寺院では仏生会という行事が行われます。

花御堂に誕生仏を安置し、甘茶をかけてお祝いをします。

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お釈迦様は生まれたすぐ七歩歩いたとされています。また、かの有名な「天上天下唯我独尊」の言葉を発したとされています。

後世、偉人を讃える象徴として表現されてきたものと思いますが、誰が考えてもあり得ない話ですよね。

 

仏教は嘘つきだ!という人も中にはいらっしゃるかも知れませんね。

 

さて、毎週月曜日の地元紙朝刊には、宗教のページがあります。その中に、ある僧侶の方が連載をしておられるのですが、この「天上天下唯我独尊」の解釈についてコメントがありました。

 

最近、この言葉の捉え方として、一人一人の生命が尊い存在であるとする考え方があるということに対し、それは全くの誤りとされておられ、文末に聞こえ良い、それらしい言葉に惹かれて流されてはならない。といったコメントを書いておられました。(中略してます)

 

私自身、大学は一応、仏教学部を出ておりますので、経典の解釈についてもそれなりに程度ですが理解できるつもりです。

私は大学在学中、「仏教という学問では人は救われない」ことを知りました。しかし「仏教は人が救われるためにこそある」ことは然りであります。

 

経典に書かれる解釈も基本を知る上で大切なことですが、より多くの大衆が救われてこそ、仏教の価値があろうかと私は思っています。

お釈迦様が「私の命が一つしか無いと同様、向き合う人の命も一つしか無いのですよ。だから人を愛することを忘れてはならないのですよ。」と仰っておられる、と一人でも多くの日本人が認識したら、会社や学校のいじめは少なくなり、自死に至る悲しみや、そのご家族の行き場の無い辛さも減るのではないでしょうか。

そういった観点から、私は最近の解釈を広くお伝えしたいと思います。

 

お釈迦様の誕生から、私たち人の誕生の素晴らしさ尊さを実感する機会が仏生会であってほしいと願います。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌